PUFFYになりたい

異次元の健康を目指す 戦争反対反差別

2026/07/18全立前編面白すぎる

普段からテニミュの感想を長文でまとめている私が、東京公演終了時点でもうそれをやりたくなっているというだけで、今回の全立前編がどれだけ私にとって面白い公演かはobviates!明らかじゃん!本当に、私はテニミュを諦めなくてよかったなと今この瞬間も思っている。香、4th、そう思わせてくれてありがとう。

 

青学に入ってよかったよ 12代目バージョン

そもそも今回の公演の一言目が「お前が例の越前リョーマか、出る杭は早めに打っとかねーとな」なのがまずすごすぎる!これはミュージカルテニスの王子様越前リョーマ&桃城武公演だ!やっぱり原始阿吽は太陽だったんだ!阿吽最高!阿吽最高阿吽最高阿吽最高!!!!!!!!!!!!!(もうここは今考えられる領域にないため、最高!とだけ言わせてもらう)

 

S3 手塚VS真田

まず構成がめちゃくちゃ面白い。今までにフォーカスされてこなかった手塚と大石↔︎幸村と真田という「部長と副部長」(genius 351のサブタイ)に焦点を当てることによって、青学と立海というチームそのものについて、これまでのパブリックイメージを超えた新しい視点が提示されている点や、今までは手塚と真田の個としての覚悟や勝負に重きを置かれていたものが、青学と立海、それぞれのチームとしての一勝に懸ける全員の想いの表出に重きを置く構図になっていた点など、挙げればキリがないが、4thがここまで積み上げてきたシングルスの描き方があってこそのS3だったと思う。

「部長と副部長」に関して特に注目したいのはやはり試合に出ていない大石と幸村が、今試合をしている手塚と真田を止めるべきか見守るべきか逡巡する曲があるという点だ。この曲は、本来であれば手塚の腕や将来のことを考えて誰よりも手塚の自己犠牲を止めたい大石、真田の真っ向勝負の信念を捨てさせてチームの勝利の為の戦いを求める幸村という、試合をしている2人と共に過ごしてきた時間に最も重みがある2人による曲である。

この曲中における大石の「君が部長でよかった」幸村の「君が副部長でよかった」の歌われ方の違いに、青学と立海の違いが最も出ていると思う。大石は手塚に近づき、真っ直ぐ手塚の方を見つめて「君が部長でよかった」と歌う。対して幸村は真田の元を離れ、チームの方に近づき、チームメイトがいるベンチを見つめて「君が副部長でよかった」と歌う。これは、大石が手塚の「個」としての覚悟を尊重し、その上で手塚国光が自らのチームの部長で良かった、と個を貫く手塚に対しての敬意とその決意を受け止めるという覚悟を決めているからこその演出だろう。対して幸村は「君が副部長でよかった」(と、思わせてくれるよな?)という、「個」を捨てて立海三連覇の為の駒の一つとならなければ、お前を副部長にした意味がないだろう?と言わんばかりの演出が為されている。この差から青学というチームの異常性が垣間見えるのではないだろうか。青学は徹底的に「個人の決意や覚悟」を尊重する。本来であれば立海のやり方のほうが余程正しいのだ。チームの為の1ピースとなる為には「個」の信念などは捨て去って戦う必要がある、というのは何ら間違った事ではない。四天宝寺戦において波動球の無効化をした(最終的に真っ向勝負を受けたが)銀や、勝つ為に千歳に試合を譲った謙也、ボールに触れる事を許されなかった財前。全国氷帝においては持久戦を要求された(拒否したが)忍足、持久戦を捨てた跡部。さらに遡れば勝利の為のラフプレーに従った比嘉……立海の「全ては全国三連覇のため」に個を捨てさせるという理屈は、あらゆる他校も同様にやってきていることなのだ。それこそ他校においてはそれを指導者の立場にある「大人」が個を捨てる事を要求してきている。例外なのは六角と青学くらいだろう。(立海の宗教性はそれを要求する「大人」の不在によって成り立っているのではないかとも思うが、ルドルフもその点で言えば「大人」が不在なのでその点がどう異なる印象を与えてくるのかをもう少し考えたいところではある)

青学は徹底して「個人の覚悟・信念」を尊重する。そして、それを大人も止めない!(スミレが絶対に止めないのって、かなりやばい事だ)それを認め、チームメイトも絶対に捨てさせない。なのに!青学は!!勝つ!!!お気づきだろうか?おかしいのは青春学園なのだ。

手塚の覚悟を止めない事を決意した大石が手塚に「油断せずに行こう」と告げ、手塚が「俺たちは勝つために来た、からな」と返すシーンの後ろにいる菊丸が、2人を見ながら優しく笑っているのを是非観てもらいたい。先述した「本来であれば手塚の腕や将来のことを考えて誰よりも手塚の自己犠牲を止めたい大石」がした優しくも残酷な決意を、その苦しい決断を誰よりも分かっている菊丸は、その後大石の肩を叩き、大石を励ますためにベンチ下に降りてくる。この後に「We will never die」が始まるわけだが、そこで菊丸に宛てられている歌詞が「俺らはチームだ We will never die」なのもすごい。菊丸は手塚の決意を、そしてそれを尊重した大石の決意を共有しているんだとここで強くわかる。ここで黄金と部長副部長である、大石を中心とした3人の関係値が視覚的にも理解でき、この曲が入ってきていることがかなり効いている、4thらしさが効いている曲であり演出だなと思う。

また「We will never die」は、青学というチームの異常性がわかる曲なので大好きだ。立海の「チームのために選んだ正義」はわかる。全然わかる。青学は「チームのために払った犠牲」は、ヤバいだろ。待て今なんて言った?チームのために?払った犠牲?待て今お前犠牲っつったか?この曲、めちゃくちゃアップテンポのくせに言ってる事がガチでえぐい。青春学園はキラキラした、眩しさに目を焼かれそうになるチームだし、私はだからこそ青学が好きだが、その光を産んでいるのは間違いなくこの様な徹底し過ぎているといってもいいまでの個の尊重と、それによって失われる物、勝利と煌めきのために払われる犠牲という暗闇があるからこそなんだろう。少なくとも香はそう思って青学の煌めきを描いているんだろうと思った。青春学園ってやばいよ、個を徹底的に尊重することが=勝利に繋がるというこの構図が青学の独自性で、だからこそ主人公なのだと思うんだけど、それにしても青学ってめちゃくちゃなチームなんだと思い、新しい発見だなと思えた。

あと、手塚が最後に零式を打つ時に幸村と不二にピンスポが当たってて、不二は時間稼ぎだということに気がついてからエンブレムを握っているのがめちゃくちゃ良いと思った。そこからS2におけるIt's my timeの歌詞の変化、僕の場所it's my teamに繋がる説得力があるなと感じている。

 

記憶を無くした王子様

爆泣き曲すぎる。あまりにも苦しくてしょうがない。思い出せ越前で泣くことも思い出せ越前のために通うことも元から決めていたが、まさかここまで最高の形で、しかも前編で「思い出せ越前」をお出しされるとは思ってもみなかった。

まず、リョーマを連れ帰ってきた桃城の演技が秀逸。手塚の敗北という青学にとって圧倒的に絶望の状況下、リョーマという蜘蛛の糸を垂らしてくれたかと思いきや、その糸を自分でまた切らなければならない。あの時のあゆとの演技って本当にすごい。帰ってはきたんですが…の時の表情、声の震え、なんと説明すべきか、説明したくない!だが説明しなくてはならない…。絶望の中に更なる絶望の暗闇を持ち込まなければならない桃城の心中を察すると苦しくて仕方がないし、リョーマの「連れてこられただけで…」がまた苦しい。その後全員に責め立てられながら、桃城の後ろに隠れるリョーマも観ていられない。萌えすぎてしまうので、観るのだが……。海堂がリョーマにブチギレている所を見ている時も桃城は苦しそうにしていて、きっと見つけてからここに連れ帰るまでにこの青学レギュラーとの一連のやり取り全てを桃城は1人でやっていたのだろうなと想起させてくる。

からの青学全員による「思い出せ越前」で泣かない人間がいる訳がない。各々がリョーマとの思い出、リョーマへの想いを伝えるも、それは届かない。特に手塚のパート後に手塚の表情をみて一瞬泣きそうな顔になり、そこから「先輩に頂点見せてやれ」と歌う2年生(桃城武くん)、こちら最注目ポイントとなっております。という感じだ。泣かせにきている。しかも最後の「思い出せ」の時、桃城くんは青学のエンブレムを握っている。(現状は桃城だけが)リョーマにとっての青学の歴史の始まりが桃城武であり、それは即ちリョーマのテニスの王子様としての歩みの第一歩目が桃城武であることの証左に他ならないと思っている。早く観に行きたい。私はこれに定価を払っている。

 

D2 乾海堂VS柳赤也

この試合に関しては文句の割合の方が気持ち多いかもしれない。アンケートにも書きまくっているが、柳のラリー中の「貞治」呼びを今すぐにやめてください。普通に意図がある演出とかではなく峰の時にあった乾と大石のセリフが逆になっているレベルのミスだと思っている。この試合において柳がラリー中に「乾」と呼ぶのは、立海三連覇のために必要とされている「個」の排除の要求に柳なりに応答しているからである。それでもなおラリー外では赤也のラフプレーによって眼鏡を破壊された乾に「すまないな、貞治」と呼び掛けている。最初から最後まで「乾」と呼び続けられる程の非情さは持ち合わせられていないが、立海三連覇のための駒として自らの役割を全うする決意は硬い(それこそ関立では自身が私情を挟みすぎたせいで3タテ出来るはずだった試合を落としているのだから)というアンバランスさが柳の人間臭さとなっている重要な描写だと思う。あの場で乾呼びと貞治呼びが同時に存在しているのは、乾に対してのこの試合には一才の私情を挟むことは無いし、できない、という、本当に柳から乾に対して「だけ」伝われば良い意思表示でありメッセージなのだ。だからこそ、この場面では乾呼びと貞治呼びを意図的に使い分けていなくてはならないのに、なんで貞治とか呼んでるんだよ柳はよ。お前関東の負けのこと本当に反省しているのか?大阪までには直っていて欲しいと思う。

さて、賛否両論の意見を最も見かけるシーンこと泣きっ面に蜂曲だが、私はこのシーンで立海を観ていることが少ないので特に思うことは無い。(爆速チェックメイト自体はかなり気持ちが良くて好きな曲だし、過去の雑魚曲もまあ大体こんな感じだっただろうという体感があるため)だが何故あえてこの記事で爆速チェックメイトに触れるかといえば、この曲で重要な点は蜂コスプレではないからだ。(断言)蜂にイラついてしまう人は是非、青学ベンチを見てみて欲しい。

桃城武と洗脳の歴史については以前四天感想ブログで書いたことがあるのだが、4thにおける桃城は常に洗脳されていた。「常に相手のペースに呑まれ、意味のわからない行動をさせられ、時には白目を剥き、恍惚とした表情を浮かべ、クラクラと目を回し…そんな桃城武を観られるのは原作アラメノマ回とテニミュ4thシーズンだけ!ありがとう香!」(自身の過去記事から引用)爆速チェックメイトは本公演において、ワカラマイから始まったベンチ洗脳ソングの系譜に位置する曲である。(桃城は四天まで洗脳皆勤賞の筈だ)そんな洗脳のプロである桃城が、今回の爆速チェックメイトではその洗脳を受けていない。じゃあ誰が桃城の代わりに殺虫剤をかけられてネットの前で踊っているのか?答えは一つ、記憶を無くした王子様である「越前リョーマ」である。桃城はベンチから洗脳され踊り狂うトリオとリョーマを見て、ベンチから「越前!」とリョーマを正気に戻そうとしている。ここで、今まで築き上げてきた、そして私たちに視覚的に表現され続けてきた冷静なリョーマと感情的な(というより流されやすい?)桃城の関係値が逆転している。記憶を無くし、全てを無くしたリョーマには今与えられている外部からの刺激に対して抵抗する力がなく、今現在桃城にはそんな越前に対して為せることが「名前を呼ぶ」以外に一つもない。洗脳ソングで描かれているのは精神的な幼さのようなものだと私は感じているので、ここでようやく桃城の精神的成長が見られたという喜びもあるのだが、同時にリョーマの精神的退化を否応なく見せつけられてしまった苦しさが同時に押し寄せてくるかなり印象的な曲になっている。その後の四天のお笑いに対するリョーマの反応と、それを呼び戻しにいく桃城のベンチワークも印象的だ。「お上手ですね!」「お前もお上手だったんだよ」が、この公演中ずっと行われているということが、ベンチを定点せず全景で見たとしてもある程度理解できる演出として、私はこの辺りを観ている。

海堂のジャイロレーザーとトルネードブーメランについては、桃城の「ジャイロ回転してやがる」のカットや柳生のパートがいささか長すぎる事など不満はあるが、乾海堂の曲は好きなので別にいいか…と思っている。赤也の悪魔化についてはそもそも名古屋星徳戦でもそこまで印象に残らず、香の得意な宗教的演出を何故しなかったのかが気になる点ではあるが、まだ考えがまとまっていないため意見を述べるのは保留としておく。今回は全体的に香らしさ(宗教演出)が控えめだと思うのだが、それにも何らかの意図があるのだろうか?無いわけがないと思っているので、是非千秋楽までに答えを出したいものである。

 

試合後

この試合自体は原作ではたったの5話しか使われていない。サブタイトルはgenius354「テニスを忘れた王子様」355「砕かれし心」356「猛獣使いの達人」357「直線と曲線」358「海堂覚醒」までがこの試合である。短い。特にgenius358のラストページに至っては審判による試合の終了すら宣言されず、倒れた乾の脇で乾の名を呼びながら叫ぶ海堂の大コマのみである。許斐剛の描く漫画、あまりにも面白すぎる。そしてgenius359「悪夢」では乾の悪夢、青学の敗北という最悪の結末が先の試合で受けた自身の傷や様々な潜在的意識と共に描かれ、病室で包帯ぐるぐるの乾が目を覚ますとそこには海堂の姿がある。というのが、あくまで原作における、つまり「コマ内」で描かれている全てである。今回D2後の曲で描かれているのはまさしくその「コマ外」で一体何が起きていたのか、であろう。全員曲でありながら海堂は乾がいたその場から俯いて動かない。そんな海堂を気遣うようにタカさんと大石が海堂に近寄り屈んで目を見つめる、またはそんな海堂の想いを理解し、自分ごとの様に悔しさと復讐心の様なものを燃えたぎらせて桃城は海堂を見つめ、オフマイクかつ曲中であるにも関わらず名前を呼ぶ。この曲は「勝つまで負けない」という繰り返されてきたフレーズの通り、まだ青学は負けていない、ここから再び這い上がり必ず勝利するのだ、その勝負の場から降りる事は許さない、と、失意と絶望の中にいる海堂を再び勝負の場に引き戻す曲なのだと思っている。「Never Never Never Give up」を歌う桃城の視線が常に海堂に向いている事や、赤也がその状態の海堂すら自らの手にかけようとする所で大石、タカさん、そして桃城が海堂を囲み、まるで海堂を守っているかの様に見える構図も大変素晴らしいと思う。

乾と海堂は確かに負けたし海堂にとっては絶望しかない瞬間であること、青学が崖っぷちに立たされていることもまた確かなんだけど、その海堂の絶望を救うのが次の不二のS2であるというのが四天S3からのD2「決勝、行きましょう!」の流れの逆になっているのがかなりわかりやすく描写されている様に感じてそれもこの曲の良さだと感じている。

海堂がどうやって乾の病室まで向かえたのか、海堂がどうやって乾に(悪魔化を止めてくれて)「ありがとうございました」と伝えられるまでメンタルを回復させたのか、という今まで描かれてこなかったあの試合の後の「海堂薫」を描いた、4th的崖っぷちギリギリ〜ここからが…俺たちII(全立バージョン)だと私は受け取っている。私はこの曲があったからこそ、より強く青学に勝って欲しいと思えたし、テニミュに青学厨として通いながら「勝って欲しい」「絶対に勝ちたい」と思わせてくれる公演にしてくれたのも、この曲があったからだと思っている。この先もっと良くなるだろうと思うと楽しみでならない。

 

乾の悪夢

悪夢曲がDance with Devilsで嵐のMonsterの間奏でマスカレイドミラージュなので、当たり前にかなり好き。

乾の悪夢の面白い点は、先程洗脳されていたリョーマの立ち位置に桃城海堂が入り操り人形とされている点だと思う。乾の潜在的な意識の中では桃城がまだ洗脳される側だと表現されており、そこにリョーマがいない、というかつての青春学園がそこにはあるからだ。これにより爆速チェックメイトのリョーマと桃城の反転に説得性が出てくる。

また、乾の悪夢の途中で完全暗転がある点もかなり好きだ。夢というのは突然覚めるし突然消える。香は「夢」や「潜在意識」を演出する事に長けていると思っているので、この辺りはかなり気に入っている。目を覚ましてからの海堂と乾の会話の芝居の間や台詞回しも素晴らしいと思う。演技が上手い。(あんまりに文が長くなりすぎて疲れてきた)

 

S2 不二VS仁王

そんな乾の悪夢を切り裂くかの様に、晴れ渡る真っ青な空をそのまま表現した爽やかなラリービートで始まる不二仁王戦、まずこの幕開けが素晴らしい。乾の悪夢はあくまで悪夢、潜在的な記憶や直前の傷が生み出した最悪の想定であって、そんな暗雲を吹き飛ばすかのように爽やかに始まるこの試合の幕開けがわたしは大好きだ。不二は前回の白石との試合での敗北によって既に一段階上へと登っている。原作でもテニミュでも「なんか…雰囲気が…」と言われているし、それをラリービートで表現してくれているのがまず嬉しい。

S2の描き方として1~3と大きく変化しているのはやはりなんと言っても「仁王のソロをどのタイミングで入れるか」だろう。今までのイリュージョンは、手塚と白石という立海側が想定していた不二が絶対に勝てない相手、になれる仁王という、青学及び不二を絶望させる(絶望させたと思った(立海は))タイミングで歌われる。そしてそれをひっくり返して不二が勝つという展開だったが、今回の構成としては不二周助と手塚国光/前回の対白石戦での敗北という様に、明らかに仁王がイリュージョンする相手と不二の関係性が違うことがはっきりと描かれていると思う。個人的には仁王のソロのタイミングはあそこで完璧だったんじゃないかなと思っている。だって、不二周助にとって最も重要なのは手塚国光との再戦であって、一度負けた相手に対するリベンジは二の次なのだから。

S2は4thによって、完全に不二視点で再構築されたと思っている。全てが不二の見ている景色であり、不二の心象風景であり、不二の感情なのだとわたしは個人的に解釈している。これについては既に長文ツリーの感想を流しているのでそこからほとんどそのまま持ってくることにする。

 

○不二について

・S2って不二視点でみると対手塚戦(より一層特別なもの)と対白石戦(一度負けた相手)で手塚が出てくることと白石が出てくることの重みが圧倒的に違うんだけど、過去Sのイリュージョンのタイミングって手塚と白石どっちも顕現させてからだから、仁王曲のタイミングが頭にきたことによって不二にとっての手塚国光という人間の存在の重みがよりわかりやすくねちっこく面倒臭く描写されてるような気がする。

・不二周助にとって手塚国光は道標であることが嫌というほど描写されきったというか、知らされきった後に作られたシーズンなんだなということを再認識

・同じ相手に2度も負ける訳がないというのを不二自身も、そして乾をはじめとして青学3年も自身と確信を持って言えるのがいい。あまりにも重みが違う。内部から見ないとそれはわからないけれど。だから聖書に効いたか?それ、とかもマジで意味がない。効かなかったからといって折れる訳がないんだというのを乾くんがめちゃくちゃ理解しているところを青学旧三強ってやっぱり最高。

・仁王のイリュージョンが完璧ではないことに気がつくまでは本当にこの日を夢見ていたんだという満ち足りた笑顔で対手塚戦を楽しんでいる不二が零式4本で決まらなかった後のクローズドアイでは笑顔なんだけど満ち足りた感じではなく、あくまで心の瞳で見える手塚への笑顔で、今実際に戦っている相手は手塚ではないからこその余裕の笑みみたいな冷たさを孕んだ笑顔に変わってるように思える。

 

・S2は不二視点で描かれた試合なのは仁王がイリュージョンしている手塚にはピンスポが当たらず、ベンチコーチの手塚にピンスポが当たったり、不二が今の試合(対仁王)ではなく回想の自分達を思ってラリーをしているのから見ても明らか。

・「僕だけのit's my time」が四天戦の自身の敗北とそれを帳消しにしてくれた後輩や仲間の奮闘、そして手塚の試合と手塚を止めたかった大石が止めなかったことや最後まで海堂を守る為に戦った乾を見て「僕の場所it's my team」に変化するのって不二周助が完全に青学というチームの一員になった事の表れなように思えて、心から青学が自分のチームであること、自分が青学というチームの一員であること、その為に全てを賭けて戦っていることを受け入れて次へ進んでいこうとする覚悟(吹っ切れた決意)みたいなものが見られるのがすごく良かったと思うし、だからこそ試合後に笑顔で手塚に再戦を申し込めるんだろうなと思った。不二の目にはずっと「心のまま僕は君を想う」の手塚だけが映ってる演出が視覚的にわかりやすく表現されているように思って、「あえての」マスク演出なんじゃないかと思った。それに合わせる形で白石もマスクにしたんじゃないかなと思ってるし、納得できる。

➡️香と不二との決着が最終的に原作に書かれてある事だけをそのまま描写して曲にする、クローズドアイ2026の様になった事を受けて、3rdまで見てきたクローズドアイからメロディーの変化はあれど歌詞がほぼ同一なのに、そこに付与される意味合いやそこから受ける印象が大幅に変化したというのはとてつもなく大きな意義を持つと思う。これまで歌い継がれてきたクローズドアイを聴き返した時、その曲に対しても新たなレイヤーが加えられているというのが嬉しいし、この様な決着になった事もまた感慨深いものがある。

 

・六角時点でのwe are the oneは手塚が抱える不安に対する不二からの心配の要素やでも大丈夫だからね、という意味合いが強いものだったけれど、今回あのタイミングであれのリプライズが入ったのってマイナス要素の「胸の中のざわめき」ではなく不二が自分自身を手塚に見てもらって、それによって生じた限りなくプラスの意味合いの「胸の中のざわめき」なんじゃないかと思った。これでまた試合したくなった?再戦してくれる?これだけ成長したよ、だから君の腕が治るまで待っているよ、という不二から手塚へのラブコールなんだと思った。同じ曲を使いながらもそれを歌う不二の内面は180度変化していて、覚束なかった足元がガッチリと固まり、自信を持ってwaiting for youを伝えられている様な気がする。

 

○リプライズについて

・リプライズ合戦になるのは4thのお決まりの型ではあるが、そのリプライズ中のリョーマの変化がある事によってかなりこのリプライズは型として以外の意味を孕んでいるように思えた。リプライズに参加できない➡️堀尾に促されて応援(受動的に観戦を楽しんでいるだけ)➡️最終的にそのメガホンも下ろして純粋に不二周助が魅せるテニスに目を奪われている(能動的にテニスの観戦を楽しんでいる/テニスそのものに対する興味の芽生え)があのリプライズ中のリョーマの挙動や表情の演技から読み取ることができて、ここから「僕にもテニス教えてください」に繋がるための重大な布石としての効果があった。記憶を無くした王子様が記憶を取り戻す為には、身体の記憶に呼びかけるだけではなくテニスに出会った頃の夢中な気持ちやテニスそのものに対する興味、テニスがしたいという能動的な感情の記憶も同時に呼び起こすというか、再生産する必要があるのだ、という香の解釈が好きだ。

 

○仁王について

先述したように(ブログで)立海を個の排除を徹底的に求め、それを成し遂げられた者が勝利するというチームとして見た時、仁王は個の部分を出しすぎたが故に敗北したというように見えた。仁王のソロ曲が「黒い白馬にまたがって前へ前へとバックした」という個人の座右の銘から関連付けられたワードによって構成されているところとかからもそれを感じる。

 

フィナーレメドレー(あえてこの呼び方をさせてもらいたい)

今回のラスト、部長の三重奏だったりフィナーレを始めようと今回の曲のアレンジだったり、それを全員で歌う明るい終わり方というか、なんというかすごく3rdまでの「フィナーレメドレー」の雰囲気を強く感じてそれが個人的にすごくツボだった。これって、フィナーレメドレーだよね!?という感情が湧き上がってきてあの時の思い出も一緒に蘇ってくる様な感じがした。まだあまり色々考えられていないのでとりあえず嬉しい!好き!とだけは伝えたい!!!!!!

 

ラストシーン

D1の両者がコールされて私が大好きな黄金の台詞で終わるかと思いきや、スクリーンの向こうでは同時進行で越前に対する強制的な記憶の呼び起こしが行われている。桃城がまずサーブを打ち、海堂、乾で終わるかと思いきや!最後の最後で桃城がダンクスマッシュを打って幕が降りる!ヤバイ!阿吽で始まって阿吽で終わりすぎている!これをミュージカルテニスの王子様越前リョーマ&桃城武公演と言って何が悪いんですか!?!?こんなのリョーマに対しての桃城くんからの心からの「祈り」でしかないじゃないか!!!!!すごい!!!阿吽ってすごすぎる!!!!

 

以上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!私はテニサミ行ってそっから大阪いくぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!待ってろや!!!!!!!!!!!!!!!!!!阿吽〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

2026/6/1 ラッキードッグはじめました

今日は暑かった。ハッピープライドマンス。ミュージカルgirlfriendから2年が経とうとしていますが、お元気ですか?6月だからそろそろいろんなお店で冷やし中華始めました、が始まることだろうと思う天候だった。へえ、そっちは冷やし中華始めたんだ〜………

『ラッキードッグ、始めました』

信頼できるフォロワーが1年前からずっとラッキードッグの話をしている。ラッキードッグ(以下ラキド)は2009年発売のR18BLゲームである。私はBLがこんなにも好きなのに、BLゲームを一本もやったことがなかった。なんたる失態。そもそも2009年の私は、まだBLに真の意味で「出会って」いないので無理もないのだが。ちなみに「ボブゲ」がボーイズラブゲームの略なのも初めて知った。スポンジボブのゲームのことかと思っていた。そのフォロワーに「ラキド来て」と、かなり繰り返し言われていたので、BL舞台が観たかったし、5月中旬に関東にいる予定があったので、もしかしたら行けるかもなー、けど別に行かなくてもいいんだよなー……とうだうだ渋っていたのだが、特に予定もなかったので結局初日のチケットを購入し、飛行船シアターにて観劇。帰路でゲームとプレイ動画を全購入した。

 

だって面白いんだもーん!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ちょうどラキドを観る前にジョジョ5部と6部を見返していたところだったため、かなりジョジョだ…と思った。フォロワーが何故か特典のSSを持ち歩いていたため、ゲームも何もやっていないくせに本編後軸のSSだけ沢山読んだ。萌えた。1を聞いたらフォロワーが10教えてくれるので、流石にゲームに興味が出たし、ゲーム苦手なんだよな…と言うとプレイ動画がある!と言われてそれならいけるか、と思ってプレイ動画を観ていたら台詞がボイス無しだったため、キレながらゲームも買った。PCでしかできないというのに。でも、ボイスのないBLゲームなんて意味がないから仕方がない。そんなものは、純情ロマンチカの出来レース就活展開くらい意味がない。

今のところ、ルキーノ√とジュリオ√を無事完走。6/1、イヴァン√、始めました。6月の季語として最も適している語は、冷やし中華始めましたでも紫陽花でも五月雨でもなく、ラッキードッグだ。歳時記を要チェック。

2026/3/16 ミュージカルテニスの王子様(4th四天)

楽しかったー!まず久々に沢山(といってもせいぜい半分いかないくらいだけど)テニミュに通うことができて、そこまで元気が戻ってきてるんだ!お金はないけど!ということを、千秋楽を迎えた今実感している。

フォロワーにも沢山会えて、ずっと一緒にいれて、新しく気付けた色んなことを共有できて、替え歌して踊って騒いで、テニスの王子様をもっともっと好きになれた最高の公演だった!まずは四天宝寺全40公演お疲れ様でした!と伝えたい!

 

大革命の4th四天宝寺

①四天宝寺公演と私

私が初めてフルで観たテニミュは、2nd四天宝寺公演だったような気がする(覚えてないけど)。当時WOWOWでテニミュ2ndの一挙放送がやっていて、戦国鍋やペダステ、空耳経由でテニミュを知っていた小学生の私にとってこの一挙放送はまたとない機会だったので、全て録画して、DVDにダビングして、繰り返し見た。学校から帰ってきた後、時間がある休日、居間で勉強をしていた時、とにかくひたすらに2ndのテニミュを観ていた。特に四天公演が好きで、大阪マンボやゲイ術的なテニス、Let's get it on togetherはハモリを完璧に覚えるまで繰り返し観ていた。

当時の私は一氏ユウジ、及び財ユウが好きだったので、萌えるンゴねえ…と幼心ながらに思って、3DSで一生懸命pixivを読んだりしていたような気がする。

3rdの時もまだ財ユウ及びラブルスピアスが大好きで、3rdの時はそこの定点、そして10代目桃城武役の大久保樹の顔にメロメロになっていたため桃城の確認、さらにベンチの黄金の確認をしなくてはならず、ありえない速度でオペグラを行ったり来たりさせていた。あんなに観なきゃ行けないところが多すぎてパニックになったテニミュは、後にも先にもここしかないと当時は思ったものだ。サー四天の時は中学生で、友人と北海道から一番近いという理由で仙台公演に申し込んで、多賀城でテニミュを観た。多賀城周辺には本当に何もない。4年間宮城に住んでいたけど、本当に何もない。でかい本屋しかない。

原作を全て読み切り、演出が変わり、財ユウに飽きて桃城武真剣部兼黄金真剣部、そして青学厨になって初めての四天公演。いつものように青学ベンチ定点と桃城定点だけをして終わるはずだったはずの四天宝寺公演で、革命が起きる。

 

②4峰と私

ファーステ時点で学にというか、学の橘桔平にメロメロになっていた私(人生初の俳優とのチェキがGAKU名義だった時の学とのチェキだ)は、4th不動峰公演でも当たり前に学にメロメロになっていたし、なんなら4峰全員にメロメロになっていた。お披露目のお笑い能力の高さに、西のサー氷東の4峰と言われていたのが懐かしい。お披露目は普通に落ちたので、配信を買って観た。あれは本当に何だったのか。本公演も、青学厨の自覚を持って入った初めての公演だったはずなのに、気付いたら4峰のチムセを購入していたのも良い思い出!私が生まれて初めて購入したチムセは4峰だ。(ありえない)公演途中でWエってめちゃくちゃいいな、となりザワレイブロマが欲しくなり、そんなんチムセ買った方が早いだろ!と思ってチムセを買った。楽しかった。

4峰初日はTDCに入った。席は覚えていないが、3rd亡霊のフォロワーと連番し、3rdの亡霊らしくしこたま文句を言ったことを覚えている。今となってはその行為を反省しているが、後悔はしていないし、するつもりもない。キャストはこれ以上ないというくらいに最高だし、テニミュが終わった後の圧倒的な幸福感は凄まじい!!!けれど、冷静になるとここってどうなの?これ本当に合ってる?これなんか、うーん…というもやもやした感情が湧き上がってきて、楽しいのに楽しめていない自分がいたあの感覚は今も忘れられない。卒業式、阿吽の変なインスト曲、新風、スポット、青春ジャンクションには死ぬまで文句を言うだろう。何故なら変だから。でも、4峰の円盤は見返し続けるだろうな。文句を言いながらもそこそこ不動峰公演には入った、というか、大学生になり内地で一人暮らしを始めたために、圧倒的に行ける数が多くなり、必然的に観劇回数が増えたというのが実際のところだと思う。チケットは少し増やした気がする。忘れた。

インスタライブも多分ほぼ全部観ていたし、当たり前にザワレイ厨をやっていた。桜井が森を庇っている!と友達が気付いてから、乱闘のシーンはそこしか観なくなったし、ザワによる束の間のロンリーナイト(レイちゃんの曲)同時視聴も、ザワレイのインライも、齧り付くように観た。ザワレイのデートVlogを私は今も待っているし、レイちゃんのルーティンを崩すのはいつもザワであるということや、どうやってベンチでレイちゃんを(森を)驚かせようかいつも考えているなどの発言に衝撃を受けた時の記憶は今も鮮明だ。うん8もやりたかったけど、当時はテニミュに一緒に通ってくれる友達が複数人いなかったので普通にできなかった。可哀想に。

当時の私はまだまだ未熟だったなと、今振り返ると思う。だが、この葛藤を乗り越えたからこそ、今の私があるのだとも感じている。3rdまでの上島演出に慣れきった身体に香が新しく提出してくる新解釈のテニミュを慣らすには、ルド吹の中頃辺りまで時間がかかった。沢山文句を言ってごめんなさい。でも、ドリライ2020を失い、卒業の機会を奪われ、ファーステで圧倒的な「テニミュ」(上島演出)を浴び、期待に胸を膨らませて入った初日が卒業式から始まったら、絶望しても仕方がないんじゃないかと思う。合わないなら観なければ良い、文句があるなら来なければ良いという意見も沢山見たし、その度に苦しくなったけれど、私はテニミュの客でいることを諦めたくなかったし、テニミュの客じゃなくなるくらいなら今後の人生に何の意味も価値もないと本気で思っていたから(今も思っているし、テニミュが終わったら労働を全て辞めて山に篭って世間から隔絶された場所で生きる予定でいる、もしくは死ぬことに決めている)必死にテニミュに、4thに縋りついた。だって本当に私の人生って、ミュージカルテニスの王子様そのものなんだもん。キャストに文句を言った事は一度もない。とにかく自分が今まで「テニミュ」だと思っていたものが根っこからガラッと変わってしまったことに、身体が、頭が、心が追いついていなかったんだと思う。本当に未熟だった。繰り返すが、この未熟さを反省はしても、私は後悔しないし、忘れないし、絶対に無かったことにしない。なぜなら、あの時テニミュを諦めなかった私がいたからこそ、今こうやってテニミュを心から楽しめている私がいるから。そしてその私が、心の底から次はどんな「テニミュ」を見せてくれるのか、毎日ドキドキが止まらないから!

4峰が揃うのはドリライが最後だと思い(なんなら柊太郎が売れすぎて揃わないかもしれないと怯えていた)大泣きしながらHang in there!でペンライトを振ったこと、日替わりで泣きながら大爆笑したこと、レイちゃんのスキルの高さがオタクにバレてメロメロされていたこと、全部が宝物みたいな思い出だ。ドリライ2024で、青11と不動峰に、心からありがとうとさようならを伝えたはずだったのに。2025年、4th四天の情報解禁の日を、私は生涯忘れないと思う。

4峰へ

改めて、全国大会ベスト8本当におめでとう!そして戻ってきてくれてありがとう!初日のベスチを聴いた時、様々な思い出が走馬灯のように駆け巡りました。4thで1番の群舞を見せてくれたこと、最高にかっこいい試合を見せてくれたこと、東の4峰と言わしめたその日替わりスキルをこれ以上ないくらい見せつけてくれたこと、CYHで不動峰!をやらせてくれたこと、何より、皆が毎日全員いたこと!!!何もかもが宝物です。沢山の想い出と、これ以上ない幸せをありがとう!これからもずっとだいすきなチームです。

前置きが随分長くなってしまった。このように、情報解禁当時はザワレイ(森と桜井)の袋やる気満々ジェントルマンだった私に、ガチで革命が起こる。

 

③革命への前奏曲

4四天の初日はとにかく楽しくて、楽しくて、楽しかった!ひたすら桃城くん(阿吽)と黄金、橘、森桜井(隣が多くて嬉しかった)、そして何と言っても銀くんを観ていた!銀くん!歌うますぎ!かわいい!かっこいい!銀くん!!!

私には、関立辺りから仲良くなり、よく話すようになった大好きなフォロワー達がいる。私達は事あるごとに語尾に銀を付け、銀という文字を見つけてはしゃぎ、合掌(銀ポーズ)で写真を撮り、108を見つけたら#今日の108 で共有するなどのノリを日常的に行い続けている。2年以上そんなことをやっていると、流石にキャラクターにも愛着が湧いてくる。初めて銀くんに特別な感情を抱きながら入った四天公演だったため、銀くんではしゃげるだけはしゃいだ。エクスタシーフローの銀ポ四段活用に気が付いた時には震撼した。銀くんがテニミュにいるのが本当に嬉しくて、ノリノリで多摩にある銀だこにも行った。これは俺たちが本当の銀界隈になるための物語…。

多摩は全然行ってないので、楽しかった!!!!!!×108の感想と、3-2が試合後にハグをしているし、てか公演通じて2回もハグしてるし何事なんだ!?!?という感想がかなり強かった。お気付きかと思うが、3-2に関してはもうこの時点でかなり心をめちゃくちゃにされている。

また、千歳千里は孤独であり、その対戦相手である手塚国光、そして橘桔平には守るべき仲間、頼ることができる仲間がいるという対比の演出にかなり面白みを感じていた。

千歳対橘のけじめ戦において、最後のラリーのタイミングでRaiseのリプライズ(アンサーソング)が入ってくるのは、対橘に対する感情「だけ」を上限限界でぶつけてくる千歳と、対千歳に対する感情と不動峰という命に変えても守りたい仲間を想う感情の「両方」を、上限限界でぶつけてくる(実際問題として、どちらもを100%で成立させることは不可能だが、それをできると思っているのが橘桔平なのだ(傲慢でかっこいい!))橘という事を表現する演出だったと思っている。4峰が全員揃って舞台上にいてくれたからこそできる演出だし、4峰の文脈があったからこそあそこまで最高のシーンになったのだから、4峰を全員呼び戻したテニミュには感謝しかない。守るべき者がない男と、守るべき者を手にした男の対比、というか。そしてこの場合、「守るべき仲間」を手にした男が敗北する。その後すぐに千歳が退部しているのは、千歳にはその「守るべき仲間」がいないという表象なのだろう。(改めて文字にすると、橘桔平の傲慢さと、千歳千里のテニス=橘桔平なのが痛いくらい実感できて気持ちがいい)

また、対手塚戦における手塚ソロ曲では、手塚の圧倒的な強さ(無我の奥の扉を一度に二つ開ける)の裏には、守り、そして「頼ることができる仲間」の存在があることが表現されている。これもまた実に、けじめ戦後に即退部した千歳とは対照的だ。そしてこの場合もまた、試合途中に「守るべき仲間(まだ頼ることはできない)」を手にした(ことに気付いた)千歳が敗北する。手塚の強さの裏には「守る」ではなく「頼る」仲間がいる。

仲間はどちらかが一方的に守るものではなく、守り、守られるものであり、最も相互的に守り、守られる関係性を築くことができるチームが、そしてその仲間を持つ者が勝利する(最強である)というのが、香の強さの解釈なのかなと、多摩で見た時に強く感じた。これもまた、4thが一貫して「チーム」や「仲間」を全面に押し出す演出を繰り返したからこそ感じ取れたものなのではないかと思う。

俗っぽい言い方をするのなら、6人の子を育てるシングルファザーの橘と、一家の大黒柱でありながら相互的にフォローし合える関係性を築くことができている手塚、そしてフリーの千歳。という印象を受けて、これ、めちゃくちゃ面白いな、と思った。香はいつも新しい視点でテニスを見せてくれる。(この感想も、私が大人になったから出てくる感想だ)

先程自分のツイートを死ぬ気で検索してきたのだが、才気煥発についての部分が曲になっていたことや、米山の千歳からさす九系の嫌な所を煮詰めたような印象を受けたことなども初日あたりにツイートしていた(褒めている)。九州二翼に対しては、男の嫌な部分を煮詰めたカス男なのに異常にモテる千歳↔︎価値観が現代にアップデートされているtoxicではない九州男児の橘という印象が強く(恐らくは学が最高の人間だと知ってしまっているからだろう)、九州男児の+面と−面を二翼で一気に見せてくるキャスティングですごいな、くらいにしか思っていなかったはずだ。でも、上記にも書いたように才気煥発や無我、そして千歳単体についてはかなり勝手に頭を悩ませていた気がする。テニミュ期間あるある、記憶がない。

多摩岐阜間のテニミュを観ていない期間(配信を観まくっている期間)にも、ぼんやりとこんな事を考えていたり、あまりにも千歳が良くて、でもなんか、認めたら負けな気がするな、と葛藤しているうちに、いつの間にか九州二翼に「気付いて」しまった。だっておかしすぎるんだよこいつら、熊本帰れよ。全国大会準々決勝で何してくれてるんだよ。なんなんだよ九州二翼って、誰なんだよ。

 

④神の土地、岐阜県土岐市

もう、この辺からは九州二翼ってなんなんだよ+四天宝寺中学校3-2の2人ってマジでなんなんだよ、のゾーンに入っていた。だって二翼も3-2も明らかにおかしすぎる。

彼らの仲の良さを見て思い出されるのは、やはり太平洋戦争だ。(しゅんきnote「好きだった人のファンクラブを退会しました。」より一部引用)

3-2の異様な仲の良さ、そして他の追随を許さない相互的な信頼関係には初日時点で既に気が付いていたし、大昔のそれこそテニプリ1年生の時に蔵謙もそこそこ読んでいたはずなのだが、まさかここへ来て必死のパッチで動向を追うほどのカップリングになるとは思わなかったため、大変困惑した。なんぼなんでもこのタイミングで蔵謙に行くのはシャバすぎるっちゅー話や。初日に蔵謙ハグを観測してから、何故この2人はハグをしているんですか?この2人はなんなんですか?という気持ちで原作を読み返したりデータを漁ったり、二次創作を読みまくったりした結果、私は立派なシャバ僧になった。

また、九州二翼についても同様である。彼らは全国大会準々決勝の団体戦の勝敗が決まる最も重要な局面で、あの状況下で、完全に排他的な2人だけの空間を作り上げている。千歳は仲間の応援を聞いていないし(「頼んだで!九州男児!」を遮って「桔平!リミッターば外して、本気で来んね」)、橘はRaiseの瞬間まで不動峰ベンチを見ない。互いの視界には互いしか映っていない完全なタイマン。目撃者がいることなど一切気にせず、まるでこの会場には2人しかいないかの如く振る舞い、全てを置き去りにしながら互いに気持ちをぶつけ合う。そんな戦いを自らが所属するチームの夏が終わるかもしれない大切な局面にぶち込んでくる許斐剛、本当にとんでもないハッピーメディアクリエイターである。ちとたちも、テニプリ一年生の時にそれなりに読んだはずだったのだが、今の今まで完全にエアプだったことを思い知らされた。

そんな状態で迎えた岐阜公演、まず初日謙也のバレンタイン宣誓が何故か3-2すぎて、「もうこいつら何をしているんだ」と大困惑。謙也が高らかに「いい人止まりとは言わせへんで!」とコーレスした後の白石「いい人止まりなんかやない、最高の友達や!」…もう、何?帰ってくれないか。わざわざバレンタインに「白石と」たらふくチョコを食べることを誓う謙也も謙也なら、その後にわざわざ「友達」の部分を強調してくる白石も白石だ。この男、謙也の隣にいた過ぎてどんだけ予防線を張るつもりなんだよ。もう萌えすぎてかなり疲れてしまった。

からの岐阜楽千歳宣誓、宣誓の台詞そのものはそれほどヤバさを持っていなかったものの、宣誓後に橘を呼び出し、「桔平、やっぱ俺にはお前が必要だったばい」橘、千歳の肩を組みながら「何を今更言っているんだ。」そしてそのまま異常な空気を残したまま二人で舞台奥に捌けようとし、千歳が客席に「ありがとう」で四天宝寺全員ズッコケて(完)…もう……帰ってくれないか???岐阜の帰路、本当にずっと意味が分からなくて、家帰ればい!!よそでやればい!!の気持ちでいっぱいだった。試合で散々周囲を置いてけぼりにしただけでは飽き足らず、宣誓でもあんな異質な空気を作らないでくれ。この宣誓の流れがさすがに全部ヤバすぎて、私も四天宝寺メンバーと一緒にズッコケてしまい、あれよあれよという間に九州二翼の扉の奥に踏み込んでしまった。こうして振り返ってみると、やっぱり全部土岐のせいかもしれない。

 

⑤凱旋初日配信

大阪期間はシンプルにチケ代と飛行機代工面のために労働していたのだが、その間に3-2と二翼のありとあらゆる情報を漁りまくっていたら、「DIVE TO THE SKY」に辿り着いてしまった。テニラビもやっていたはずなのに、本当に聴いたことがなくて、生まれて初めて青学以外のキャラソンを購入して聴いた。なんなんだこの曲は。何をしているんだ。ここでようやく岐阜宣誓がDTTSネタであったことに気付き、再度熊本に帰ってくれないか…の思いを深めた。DTTSの凄い歌詞を列挙していけばキリがないが、やはり「俺にはお前が必要だった 暴れるために?」「俺にはお前が必要だった 扉開けるために?」の疑問形はちょっとやりすぎていると思う。

そしてそれを全て踏まえたうえで「恋だなう」を聴いて、あまりにも特定の一人に対してのラブソング過ぎて眩暈がした。「特別な夏が始まる予感たい」は橘と殴り合いの喧嘩をして仲を深めてからの夏を、また、自分の中で橘との再戦を誓った夏を指しているし、「俺はお前の何%なんね?」は獅子学時代、関東大会観戦時、けじめ前後、U17でのダブルス結成時とそれ以降で少しずつ答えが変わってくる魔法の疑問の投げかけだし、「お前とNow & Forever」に関しては最早何も言うまい。他にも無限にこれが橘宛のラブソングだということの根拠が出てくるので、これ以上は言及しないが、この辺りから、私は今までどうして真剣に九州二翼について考えてこなかったのか反省すらするようになっていた。出てくる情報の何もかもが、あまりに凄まじすぎる。好きな色が愛色↔︎蒲公英色ってかなりありえない設定だろう。この期間に原作も改めて複数回読み返したが、けじめ戦ラストの「アレで来んとや!!」で千歳に視えているのは、今の橘桔平ではなく、獅子学時代の橘であるというシーンも凄すぎる(無印35巻p177~179)。
凱旋には休演日明けから入る予定だったため、凱旋初日の映像は昼夜共に購入して視聴した。リアルタイムで何とか夜の四天宝寺スイッチングに、グッドルーザー手前辺りから間に合った。四天宝寺スイッチング映像で、とんでもない事実に気が付いてから、さらに私の中の二翼革命が加速する。

四天宝寺スイッチング映像では、かなりありえない角度から千歳の表情を抜いていてくれて、橘が千歳の打った打球を自らの右目で受け止め「けじめたい!」と言われた後の千歳の表情(よっぽど下手に入らないと見えない)が確認できたのだが、この男、橘の「けじめたい!」を受けた後、満面の笑みで心底嬉しそうに笑っていたのだ。そんなにも嬉しいか、自分の場所に、自分の橘桔平が戻ってきてくれたことが。凱旋初日~休演日明け前半にかけては、それ以降の千歳はずっと楽しそうで、試合後の握手の時も満ち足りた顔で幸せそうに笑っているのが印象的だった。この演技プランからは、ここからの二人の未来(ダブルス結成及びダブルスのための代表辞退)への筋道はかなりわかりやすかったように思う。「けじめ」によって互いの過去を清算し、新しく未来へ、「過去の」二人の関係性へ戻れる、というような印象が強かった。

それにしても、配信とはいえ久々に観たテニミュがあまりに面白くて、こんな最高のエンタメがあるのに、私がこのエンタメを諦める理由なんて一つもないな、と痛感した。今回の公演は、テニミュの客でいられることを誇りに思える瞬間、そしてこのエンタメを私が好きで諦めないでいたことへの自信を感じる瞬間が特に多かったような気がしている。テニモン続けといてよかった。

 

⑥凱旋

凱旋は基本、千歳と橘が同時に舞台上にいる時は両者を確認、全員曲と青学曲、青学日替わり要素、D2時は桃城固定、お膳立て前後は二翼と3-2、時々黄金を見るという感じで、見るべき場所が多くて大変忙しなかったが、毎日が充実感に満ち足りた幸せな期間だった。今回黄金に試合がなく、ラブルスが一心同体説明をしている時、一級勝負前のベンチ、タカさん過去回想の1年時、あと意地を張れ位しか絶対に見逃せないシーンがなかったのもラッキーだったかもしれない。もしこれ以上外せないシーンが増えていたら、何もかもを諦めていただろう。

やっぱり生で観るテニミュは最高に楽しい!しかも会場は4thの始まりの地、TDCホール。毎日幸せな気持ちで通えて最高だったが、もう普通に体力が無くてTDCの椅子では私の肉体を支えきれないなとも思った。あと、普通に公演時間が長すぎる。

毎日演技のアプローチを微妙に変化させてくる橘と、基本安定している千歳の対比のおかげで、今日の試合は橘だけがスッキリしていて温度差があるな…と思う日もあれば、完全に2人の世界のまま始まり2人の世界のまま終わったなと思う日もあったし、橘がベンチを見渡してから試合に臨んだ日はこの男の傲慢さにときめいたものだ。対照的に千歳はあの試合中、ベンチも含めて基本ずっと橘のことだけを見つめているのがとんでもない。

凱旋後半、試合後の握手で千歳が笑わなくなった。これはおそらく、最後の12球のラリー時にバックハンドの返球が多く、そこの途中で橘が自分の死角である左サイドに打ち込んでこない事に気がつく表情芝居が加わってからだと思われる。(もっとちゃんとずっと定点していた人からすればそんな事はないと言われるかもしれないが、これはあくまで私の感想文のため好きに書かせてもらいたい)初期〜中期にかけては、最後の握手時の2人の顔があまりにも晴れ晴れとしていて、この試合は千歳と橘にとって、過去の清算と新たな旅立ちのための第一歩である、実に清々しい決着なのだと思っていた。しかし、楽直前辺りには、この試合は過去の清算と新たな一歩であると同時に、戻れないあの愛しい日々に対する恋しさと切なさ、変化を止めることも戻すこともできないという寂しさ、そしてそれでも尚「共に」先に進もうとする2人の「新しい形」を作り出す為の第一歩である、という、言わば別れの結実と新たな出会いの両面が重なり合った試合なのだと感じるようになった。個人的にはこの演技プランとそれに基づいた自分の解釈が1番好きだと感じている。

最終的に2人が辿り着いた「けじめ」の試合が、切なくも美しい、まさに「見事」としか言いようのない仕上がりになっていて、心から嬉しく思った。新テニで2人がダブルスを組むことが確定していて、自分達のダブルスのために代表を辞退していることが確定していなければ、こんなに切ない試合を見届ける事はできなかったかもしれない。また、学が既に千歳(松)とダブルスパートナーとして試合を経験しており、前提として自分の「相棒」と呼べる存在が千歳であることを理解、経験している橘桔平だったからこそ、未来への展望がより鮮明に見えたのかもしれない。前代未聞の、千歳とダブルスを組み、同調(不完全ではあるが)を成し遂げた橘桔平による、過去へ遡っての千歳との「けじめ」戦だったからこそ感じられた想い、見えた景色が沢山あったように思える。改めて、ファーステからここまで橘桔平を続投してくれたことに感謝しかないし、全ての試合を見届けることができたことを心から幸せに思う。

ありえなすぎる獅子学宣誓にも感謝している。「またダブルス組みたいばいね」は、間違いなく学の橘桔平に対してしか言えない言葉だっただろうと思う。OVA設定を汲んだものというよりは、過去、現在、そして何より未来の2人を知っている学の橘桔平にだからこそ投げかけられた言葉であり、この一言で学の演じた橘桔平が一周したのではないか、と感じている。

余談だが、凱旋期間にフォロワー宅でファーステの円盤を見返した。その際、ベンチの二翼の仲の良さ、猛獣のような同調の美しさ、バウの二翼ポーズ、緞帳降り時に脇目も降らず千歳(松)の隣に走り出して腰を抱く橘(というか学)その他諸々に完全におかしくなり、大変だった。観てたはずなのに、これを観れなかったことを悔しいと思った。心の底から再演して欲しい。次の日の公演に松が観劇に来ていて、引き寄せの法則というものは本当に存在するのだと震えたのも、かなり今公演の全力ハイライトである。(この日の帰り道、コンビニでありとあらゆる緑と黒の商品を買い占めて勝手に二翼フェスタを開催するなどもした)

二翼の話が中心になってしまい、新たな気付き②である3-2にあまり触れられていないのだが、これに関してはオサムの感想とS3の感想も含めて話したい事が多いので後述する。

この時点で大変長くなってしまったが、以上が四天宝寺公演によって私に起こった大革命と感想の大部分である。

 

 

 

青12というチーム

3公演目となる青12、元より完成度の高い青学であるという印象があったが、四天公演でさらに成長した姿を見られたキャストが多かったように思う。特に寺田さんは感情の表出のバランスと歌唱力が非常に良くなっており、四天公演ではかなり寺田さんに泣かされたり、寺田さんめちゃくちゃ良かったなー!と思わされる日が多かった。部長である手塚国光を演じるキャストが発展途上かつ、その成長を見せてくれる青学は、私がリアルタイムで追いかけてきた青学の中では異質であるが、それが青12の良さであると思っている。比嘉、全氷からずっと感情豊かな手塚国光を意識して演じている事は理解していたが、感情豊かでありながらもそれをどう表出するかというバランスを掴みかねている印象があり、私的になかなかしっくりこないな…と感じていた部分が四天公演で全てカチッとハマってくれた。感情の表出のコントロールが圧倒的に上手くなっていると思ったし、感情的な手塚であるからこそS2観戦中の態度やその後のタカさんへの感謝の伝え方(最終的に片膝をついて目線を合わせてくれていて、これ以上ない敬意を感じた)が余計に泣けた。勿論D1中の圧倒的なオーラも、今まで以上に感じられたし、香が作りたい「孤独ではない手塚像」に寺田さんの手塚はマッチしているのだろうなと感じた。そんな、優しく、強く、そして成長し続ける男が引っ張っていく12代目が残りの公演どんな姿を見せてくれるのか、まだまだ楽しみしかない。

四天公演で1番好きなのはLet's get it on togetherなのだが、次に好きなのがOne more stepだったので、初手であのワンモアのハモリが12代目で聴けたことが嬉しくて声が出そうになったし、なんなら一音目が聴こえた初日はそこで泣いてしまった。ユニゾンがうまいチームだと思っていたけれどハモリもバシッとハマっていて、完成、そして同時に卒業の足音が段々と聞こえ始めたような気がした。寂しい!

 

S3

当代白石に抱いた印象としては、まず爽やかさがあってアニメっぽいなと思った。個人的にあまり白石に色気の要素を求めていないので、今までの白石だとしんたの白石が1番好きだったのだが、並ぶくらい好きだった。デフォルトが爽やかでエクスタシーフローみたいなエロ曲はあくまで「パフォーマンス」として行っている、みたいな白石が好きだったので、個人的にはめちゃくちゃ解釈と一致だった。とはいえエクスタシーフローはあまりにもポルノスター過ぎてびっくりしたけれど、それも自らの求められている役割をこなしている白石感があって好きだった。今回のS3では、「エクスタシー」では歌詞になっていた白石の「勝ったモン勝ち」と自らのプレイスタイルに対しての想いが芝居ベースの独白になっていたのが印象的で、自分が今までいかに白石蔵ノ介というキャラクターの一面だけしか観てこなかったのかを自覚できる良いアプローチだったと思った。自嘲するように自分の完璧なテニスをつまらないと語った上で、それでも「勝ったモン勝ち」というチームのスローガンのためにこのテニススタイルを貫き続けるという意志が見える台詞回しやエンブレムを握る動作があったことによって、白石蔵ノ介がこのチームに、そして「勝ったモン勝ち」にかける想いがよりスッキリと入ってきたように思う。また、不二の百腕巨人の門番が発動されるまでのラリーの中で白石が困惑している様子を曲にして、不穏なメロディーに載せたことで、これから一体何が起こるんだろうという不気味さ、千歳が語った不二の「怖さ」のようなものがより鮮明になったのではないかと思う。あと、普通にここで不二を介して九州二翼が会話をするのはなんなんだ、原作でも台詞を分け合っていて、九州二翼って本当になんなんだ。不二が追い上げてくる恐怖のようなものは、白石視点の時間が長いからこそ抱けた感情なのかもしれない。香は不二の内面を描写する時に、よくわからない、非常に伝わりにくい歌詞を書く傾向があると思っているのだが、原作を読んでいても確かに不二周助という男はなかなか掴みきれない。香自身もまた、その掴めなさに挑戦し続け、しかしなかなか掴めなくて冗長な歌詞になっているのかもしれないと、不二シングルス恒例のソロショータイムを観ながら思ったりもした。あとメロディーがあまりにもSUPER EIGHTの「2人の涙雨」すぎるので、ぜひ聴いてみてほしい。香VS不二周助はどのような決着を迎えるのか、という観点からも、全立S2は楽しませてもらえるかもしれない。不二がマッチポイントから逆転していく泥臭い演技については、だいありーの演技力の高さに純粋に感動した。「よしっ!」のシーンが嫌いな人間はこの世に1人もいないと思うのだが、原作で見たイメージ通りの芝居で、やっぱりだいありーの不二っていいよなと思ったし、芝居の緩急の付け方が上手な役者だとも思った。追い詰められる白石、怒涛の勢いで追い上げていく不二、そしてどちらが勝つのかわからないシーソーゲームという構図は、四天宝寺公演においては4thの型に最も適していて、ドンピシャにハマっていた感じがした。「ドンドンバイブル 天才ファイオー」というかなりテニミュを感じられるバカ歌詞もあり、ドーパミンもドパドパ出る良い試合だった。全員曲の時、それどころではないという様子で1人歌わず白石を必死に見続けている謙也も印象的だった。はせみきの謙也は、「ドアホ!まだ追いつかれただけやっちゅーねん!」からしっかり流れが作られている芝居をしているので、全員で応援することすら忘れて拳を握りしめて1人白石に声を上げ続ける謙也がいてもなんの違和感もなく受け入れられるのがよかったし、むしろそのような演技プランで演じてくれたおかげで私は3-2に改めて気がつくことが出来たので、感謝している。

 

青学レギュラー陣、それぞれのこの夏最後の試合

全国大会準決勝ともなれば、この試合がこの夏最後の試合になるレギュラーメンバーも出てくる。四天公演においては、タカさんと桃城くんが最後の公式戦となる。S2はどのシーズンでも泣いてしまうが、香はとりわけタカさんのシングルスが得意な印象があったので、かなり期待して初日を観た記憶がある。やっぱり良かった。個人的に1番好みだったのは、タカさんが客席に飛ばされてからコートに戻るまでに十分な時間を使っていた点だ。この試合は、やはりどう考えても異常である。タカさんの覚悟とそれに基づいた行動は、どう考えても常軌を逸しているし、四天の面々が困惑した台詞を発するのも頷ける。タカさんがコートに戻ってくる描写はコマ外で行われている事なので、当然原作にはないが、試合状況を考えればあのように、実際に打ち合っている時間よりも飛ばされたタカさんが戻ってくるのを待っている時間の方が遥かに長いものだっただろう。それを実際に観客にも体験させることによって、この試合の悲壮感や絶望感がより一層強調されるものになっていたのが良かった。また、タカさんが最後の一球を打つ直前で曲に入る演出も好きだった。あの光景はあくまでタカさん、亜久津、銀、そして鉄の脳内イメージである。ボロボロのタカさんが直立不動の銀に縋り付き、1ポイントで良いからもぎ取ろうとするその姿、その覚悟がまるで1枚のイラストのように表現されるあの演出は、銀の圧倒的な強者感とそこに挑むタカさんの諦めない覚悟の描写として、四天公演の中でも特に印象的な構図になっている。またここで歌うのも従来であれば亜久津だけだが、そこにテニミュ本公演としては初戦で戦った相手であり、つい先程真っ向からその銀に敗北し、さらにその弟である鉄が加わっていることで、タカさんの物語への厚み、そして銀という人間に対する厚みも同時に加わったように思った。タカさんの物語の厚みに関しては、親父が舞台転換の際に職場から息子への思いを歌うシーンがあり「俺の自慢の息子だろ」と同時にズタボロのタカさんが見えてくるシーンでもより強調されていたと思う。「勝ちたい欲望 兄さんもわかってるんだろう」という歌詞も、弟である鉄が仏教徒である銀に対して「勝利への捨てきれない欲望」(本来であれば全ての欲は捨てなければならないものだが、銀もまたそれを捨てきれていないという中学生らしい未熟さ)の存在を歌によって語りかけるのが新しいアプローチであり、「勝ったモン勝ち」のスローガンを貫き通せなかった銀の不完全さと修行僧としての不完全さを同時に描写する秀逸な歌詞だと感じている。また、タカさんの最後のサーブを受けての銀の困惑の演技も、銀の人間らしさが観られる非常に良い芝居だった。銀くんソロ曲があった事も最高に嬉しかったし、銀くんのソロ曲はありえないくらいかっこよかった!成海ちゃまはこれからどんどんでっかいミュージカルに出てくれるだろうからわくわくだ。そしてなにより、タカさんによる過去回想のシーンが何よりも泣けた。恐らくタカさんはこの嬉しさを誰にも語ったことはないだろう。そして、タカさんの他にはこの事を覚えている青学メンバーもいないだろう。何故なら、タカさんのパワーを羨ましいと思い、それを褒める事は他の青学レギュラーには特筆した意味を持たない当然のことだったからだ。しかしタカさんにとっては、自分のパワーを皆が評価してくれた事、その想いに応えたいということがテニスをする原動力となっており、それがあったからこそあんな試合が可能だった。このシーンを見る度に、やっぱり私にとって青学という学校は特別すぎて、大切すぎて仕方がないと思ってしまう。本当に大好きなシーンだ。1年時の菊丸をザワが演じてくれていたのも嬉しかった。私は顔がかっこいい菊丸がかなり好きなので、13代目菊丸はぜひザワに演じてもらいたい。長々とした振り返りになってしまったが、やはり良いS2だった。

また、リョーマの「河村先輩!」からの2年生の「届けー!!」極めつけの3年の「タカさーん!!!!!」でさすがに泣かざるを得なかった。タカさん、本当に青春学園にいてくれてありがとう。サーブによって1ポイント返せたタカさんを観てみんなが絶望する中、桃城くんだけは拳を握りしめてガッツポーズをしているのも印象的だった。タカさんが1ポイントだけでも取りたい、一球でいいという想いが桃城くんにはちゃんと届いているんだということがわかるから。試合後の涙でぐちゃぐちゃな「もう日本一のパワープレイヤーっすよ」も、タカさんに決勝を託された後に返事をする時の表情も、あの一瞬だけだけど、明日の決勝はみんなで迎えられないんだという悲しさとそれでも必ず勝利するという覚悟を見せてくれるものになっていて、本当にあゆとって表現力に満ちた役者さんだなと改めて感動した。リョーマの試合を観ている時の桃城武くんも最高なんだけど、やっぱりタカさんの試合を観ている時の桃城武くんもいい表情をしてくれるなあと再確認して、タカさんの試合中の桃城くんには、毎回泣かされていたなと懐かしい気分にもなった。

試合が決した後の「銀、折れとるわ」のオサムの言い方がかなりドライで、そこに「勝ったモン勝ち」のスローガンを掲げさせてチームを率いる監督の姿を強く感じた。美慎のオサムのこのいわば非情さ、というか、優しさや大らかさ、面白い兄ちゃんの中にあるドライさが、私の抱くオサム像とかなり一致していて、ここの芝居が一貫してだいすきだった。

 

桃城くんの最後の試合 桃城武洗脳の歴史

四天D2は個人的に思い入れのある試合で、その上桃城くんのラスト公式戦なので、今回の公演は基本桃城くん定点で観ていた。前楽か前々楽か、正確な公演日は忘れちゃったんだけど、まさかのれD2で大泣きしてしまった日があって、その日に私は青12二年コンビが完成した日を観たように思った。青学の卒業の煌めきは、私にはまだその片鱗しか見えてきていないんだけど、確実に2年生2人にはこの日卒業の煌めきが見えた。2人の演技のリズムや感情、全てのピースがバチっとハマった公演があって、本当に心を動かされてめちゃくちゃ泣いた。まだ置いて行かないでくれ。まず四天D2においてはラブルスをどう扱うのか?というのが真っ先に気になるポイントだったんだけど、それを4th文脈の一つ、全員を巻き込んだ大規模な洗脳ソングとして落とし込むのは上手い手だと思った。(クィア性が排除されてしまったことについては残念だが、これもまた難しさの中にあっただろうとは容易に想像がつく。5thでは2人が難波のバカップルであることと、笑いの王者であることを両立させた演出がなされる事を期待しているが、これもまたバランスが難しいなとも思う。)また、これが成立したのも、ワカラマイ、ラッキーミー、ダブルススーパーデラックス、フェイパレ等の数々の洗脳大混乱混沌ソングをしつこくやり続けてきたお陰なんじゃないかと思っている。混沌曲の最高点にいるのがまさしく今回のラブルス曲なのだ。知らんけど。混沌曲の1番の見どころはやはり、洗脳される桃城武だと思うのだが、本当ーーーーーーーに4thにおける桃城くんって常に洗脳され続けてくれていて、桃城武の洗脳を観に行っていたテニミュがあまりにも多すぎたような気がしている。常に相手のペースに呑まれ、意味のわからない行動をさせられ、時には白目を剥き、恍惚とした表情を浮かべ、クラクラと目を回し…そんな桃城武を観られるのは原作アラメノマ回とテニミュ4thシーズンだけ!ありがとう香!今回の桃城大洗脳では、その洗脳から時に起き、また呑まれ、というくるくる変わる表情がみれたのも嬉しかったし、なぜか実写マリオをやらされる桃城くんにも爆萌えさせていただき、ありがたさしかない。また、桃城海堂の曲の歌詞がかなり好きだった。「てか上から下から凄まじいプレッシャーに挟まれた俺らここで決めなきゃ期待をされねえ待ってろやるしかねえ」この歌詞、本当になぜ私が青学2年をここまで好きなのかがここに全て詰まっている。上の学年は全国屈指の実力者揃い、さらには下からとんでもないスーパールーキーが入ってきていて、かたやその1年にランキング戦で敗北、かたやレギュラー落ちをこの1年間で経験した2人だからこそ歌える歌詞だし、その2人の覚悟や決意の重さが十二分に伝わってくる良い歌詞だったと思う。ここでギアが明らかに切り替わるのもいい。「てか」ってなに?めちゃくちゃいい。相手のペースに呑まれまいと奮戦する2人のギアが、不二の「頼むぞ」で一段、桃城の閃きでまた一段、そして「てか!」でまた一段、と、感情の大きさがどんどん右肩上がりに上がっていくのが見ていて気持ちが良かったし、それによって心を揺さぶられたような気がする。勿論四天ラブルスによる日替わりもめちゃくちゃ楽しかったし、面白くて笑える試合であることは前提として、その上で青学2年コンビの最後であり最高の見せ場の試合になっていたと思う。2人の入れ替わりに対する驚きや、入れ替わっている!という描写が薄いように感じられたのは残念だが、そもそも香が入れ替わり演出をあまり得意としていない事は分かっていたため、この点については5thに期待したい。また、桃城海堂曲におけるラブルスへの評価が「他でグランプリでも獲りな」なことに関しては、2人がラブルスのお笑いを高く評価していることが見えて好きで、ラブルスの漫才の芸風についてはこれから考えていきたいテーマの一つになった。

 

お膳立てと勝ったモン勝ちと謙也

お膳立て前、謙也以外が銀を見ている時、謙也は青学ベンチを見つめて手塚が次出てくる事を確信する。そこから決意してオサムにオーダー変更を打診する、という未だかつてないお膳立て解釈をぶつけてきたはせみきなのか、香なのかはわからないが、4四天のこのチャレンジング精神には拍手を送りたい。今まではずっと、オサムがオーダー変更を決めて謙也に提案していたのだとばかり思っていたのだが、これを白石と共に3年間「勝ったモン勝ち」の精神でテニスを続けて、戦ってきた謙也自身が決意し、実行している事だったのだ、という解釈の提示及び演技での表現は実に見事だったと思うし、個人的に、これは謙也による決断である、という強い表出が為されたことによって、何故白石と謙也の中に圧倒的な絆が発生しているのかが浮き彫りになったように思われて、それもまた良いなと思う。これもまたはせみきがロジカルに組み立てられた芝居を熱量を持って演じてくれたお陰であり、香が新しい解釈を持って演出してくれたおかげであろう。決意した謙也の胸の内を未だ知らない白石が「さ!D1で仕切り直しや!」と言って謙也の肩を叩くシーンは、S3後、謙也が渡したボトルを一度無視した白石の姿にも重なる。これがまた実に見事だったと思う。「勝ったモン勝ち」の精神を最後まで貫き通したのは、結局この2人だったのだ、とわかるような演技プランになってくれたおかげで、私は3-2の凄さに気がつくことができたし、白石が白石としていられたのは隣に謙也がいてくれたからなのだとも確信することができた。色々な気付きが新しい解釈によってもたらされる。だからテニミュはやめられない。「お膳立てしておいたで!」で一度ジャージを見つめ、それでもなお力強くジャージを千歳に渡し、颯爽と走り去る謙也と、その謙也を引き寄せて抱きしめ、背中の四天宝寺を強く握る白石。「千歳の才気煥発で手塚の百錬自得を止める!」の直後に2人で頷きあう3-2、本当にいい芝居、いい演出、いい3-2。正直なところ、ここの感想はあんまり気の利いた事は言えない。見たものが全てすぎて。言うことが思い浮かばない。

 

財前地獄黙示録

D2の見どころとして、やはり財前地獄黙示録は欠かせないだろう。香の得意分野であることは重々承知だったが、まさかあそこまでやってくれるとは(歓喜)という気持ちで、初日は香の筆の乗り方に感動のあまり打ち震えた。だってまさか財前の「お荷物」発言が巡り巡ってコート上、ひいてはまさしく舞台上で自分が「お荷物」になるなんて鬼のような演出、こんなの香じゃなきゃ出来ない!と思った。あの瞬間まさしく財前はチームのお荷物だったし、舞台上で1人スポットライトを浴びて、周りは誰1人自分を見ていなくて、チームメイト、客席の誰もが千歳と手塚の試合を応援していて、そこにはどう探しても自分がいられる場所はなくて…やりすぎだろ!どう考えても!でもありがとう!テニスの王子様は、割と因果応報の観念に基づいて作られている作品だと思っている。人に言ったことは自分に返ってくるし、人を故意に傷つけた者やチームにはその分の罰が返ってくる。財前光の地獄演出は、まさにそれだった。あそこまでやってくれるとは思わなかったが、シンプルに感激した。嬉しかった。そんな財前がぐちゃぐちゃの表情で、全ての感情、今出せる最大限の力、決して届きはしない想いを乗せた一球を最後のサーブで打ち込むという無情さも良かった。頑張れ財前。合宿、めんどくさいからって行かないとかいうありえない選択をするな。あと、ここの乾くんの演技がめちゃくちゃ良かった。「俺たちの入れる領域じゃない」でスローが終わって、同時に乾の視線までもが一瞬にして財前からボールへ移行する残酷なまでの時の描写が堪らなかったし、乾くんのデータに基づくドライさも見えてすごく良かった。というかこの世良さんの台詞回しがだんだん良くなっていってくれて、嬉しかった。

 

接戦の描き方、タコ負け、タコ勝ち

4thには既にある程度完成された公演の型があるが、それに基づいて全ての公演を作ってしまうと、D1のような千歳タコ負けの試合であっても接戦に見えてしまい、手塚の圧倒的な強さが見えなくなってしまうという欠点があるなとも今公演では強く感じた。全ての試合が同じリズム、同じ展開で流れるわけではないので、この点においては5th、またそれ以降に期待したい。この試合は接戦なのか、それとも圧倒的な強者が全てを捩じ伏せるような試合なのか(特に全国大会における手塚国光戦では、接戦ではない試合も接戦に見えてしまう演出が多かったように思う)が、よりわかりやすく鮮明になってほしいと、手塚国光の圧倒的な力を愛する1人のオタクとしては思わざるを得なかった。

D1に関しては、どちらの演技も良かったのだが、リプライズに入った後の千歳の「希望の声に感謝するばい」と同時に行われる四天ベンチへの拳の投げつけが、千歳千里が新しく自分が自分でいる事を許容された居場所として四天宝寺を受け入れた瞬間として見えて、それがかなり好きだった。でもこいつ結局「仲間との勝利を信じる気持ち」で最終的に橘桔平に対して拳を掲げていて、本当に意味がわからなかった。結局こいつって四天宝寺という自分を許容してくれる居場所、そしてそこに帰属できることには感謝しているが、精神がまだ熊本に、というか橘桔平にありすぎている。結局千歳千里って橘桔平ありきのテニスしかありえないんだな…と思って、お前はもっと四天宝寺中学校に感謝しろよ、「やっぱ退部届ば出したったほうがよかったけんね」じゃないんだよ、お前最後の財前のサーブ打った時の顔見てないだろ(見ているわけがないよ)なんなんだよ九州二翼ってよー…(困惑)だった。そもそも才気煥発曲で1人圧倒的に私情を歌う橘桔平も訳がわからないからね?(これについてはそのうち一つの解釈をまとめて形にしたい。九州二翼ってなんなんだよ!!!!)それと対照的に自分が強くいられるのは青学というチームのおかげであること、自分が青学の柱であることが自分の強さの根源になっている事を自覚し、誇りに思っている手塚国光の姿をみて、やはり私は青春学園が好きすぎる!と思うなどもした。

 

一球勝負

4th最大の泣き曲は、個人的にはサムライファイター一強だったのだが、ここへきて一球勝負が入ってきた!あんなに泣ける曲はない。あんなに幸せに包まれて、多幸感いっぱいで、テニスが好きだ!テニスって面白い!テニスを愛している!で終われる公演、あまりにも幸せすぎる。まだまだもっとやいやいもっと!でもう泣けるのに、そこから更に「俺が勝つまで終わらない」で号泣、転調でまたさらに号泣。お前に会えてよかったわ!コシマエ!と金ちゃんが叫ぶ時、同時に私もテニスの王子様に出会えてよかったと涙が止まらなくなるのだ。一球勝負ありがとう、許斐先生、こんな面白い漫画を描いてくれてありがとう。ネルケプランニングありがとう!ありがとう、全てのテニスの王子様!改めてこの部分の原作を読み返してみてほしい。私は初日後、改めて一球勝負の決着がつく回を読み返して、あまりの原作のかっこよさと面白さ、そして美しさに度肝を抜かれ、同時に歓喜に震えて涙した。こんなに面白い漫画がこの世に存在すること、そしてこんなに面白い物語を舞台という総合芸術において再構築した素晴らしいエンターテイメントを目撃できていること、その全てが私の人生におけるいちばんの幸福であると確信している。一球勝負についても特に面白い事は書けない。観たものが、そこで感じた気持ちがあまりにも全てすぎる。テニスの王子様に出会えて良かった。これだけだ。

 

ED

不動峰卒バラ追加は嬉しいし、ありがとうの気持ちしかないが、やはりEDとしては凱旋前までの別れと次のステージへのコントラストの表現が一番良かったような気もしている。次へ物語を進める青学と、一夏の物語を終えた不動峰という爽やかさの中に切なさとクライマックスへ向けた感情の高まりが見える初期EDの方が個人的には好みではあった。でも4峰卒バラは嬉しいー!心が2つあるのはいつものことだから仕方がない。てかそもそも、4峰はここまでされていいチームなんだから、卒バラ追加に対しての文句とかは特にないですし、文句言う奴はちょっとこのブログ読まないでとしか思わない(暴君)。

 

こんなに長くなると思わなかった。多分思い返せばまだまだ書きたい事はあるだろうが、ひとまずこの熱量を持ってテニミュの感想を書ける時期はとっくに終わってしまっているので、これ以上駄作にならないように、今この感情の吐き出しはここで留めておくことにする。全立も楽しみ!行きたくない!

2026/03/16 ミュージカルテニスの王子様(4th全氷)

桃城武くんの「越前」は、祈りだ。倒れた越前リョーマに桃城くんはただひたすら「越前!越前!」と名前を呼び続ける。スポットライトが当たろうが、当たらなかろうが、「越前!」と名前を呼び続ける。関東立海S1、ズタボロの越前リョーマに対し、桃城武は叫び続けた。何度も、何度も、ただ一言「越前!」と。関立S1における桃城くんのセリフは、ほとんど「越前!」だけなのだ。この一言。なぜ、名前を呼ぶだけなのか?それは、それこそが桃城武による、祈りの表象であり、名前を呼ぶということに、そのほか全ての感情を乗せ、祈る役割を与えられたのが桃城武だからなのだ。タイブレークの末、倒れ込んだ越前に対して、桃城くんは叫び続ける。全ての祈りを背負って。

私は、出てきて欲しいな、出てきてくれたら嬉しいなと思いながら、挨拶している役者を見つつ桃城くんを見ていた。しせの挨拶の時、全員がしせをみている中、あゆとだけはなぜか袖を見ながら涙ぐんでいるように見えた。この時、私は期待した。もしかしたら本当にそこにリョーマの姿をした雄大くんがいて、出てくるんじゃないかと。松葉杖か?車椅子?誰かの肩を借りながら?そしてその時がきた。育ちに向かってダッシュではけていくあゆと、そして、その背中には雄大くんが乗っていた。私は叫んだ。声の限り叫んだ。桃城くんがリョーマくんをおんぶしている。桃城くんの背中にリョーマくんが乗っている。冷静に考えれば、それしかないんだ。リョーマは車椅子にも乗らないし、松葉杖もつかない。そして、リョーマくんをおぶって登場するべきキャラクターは桃城武しかいないし、リョーマくんがおんぶされるとしたら、それは桃城武しかいない。その後、リョーマの出入りのたびに桃城くんによるおんぶは行われ、私はその度に絶叫し、号泣した。これから先、リョーマくんはこの、愛しい日常を、だいすきな先輩との愛の日々を、初めて出来た「友達」であり「先輩」である桃城くんとの時間を忘れてしまう。もちろんこのおんぶだって。原作には描かれていなくても、2人の日常には確実にリョーマくんを桃城くんがおんぶする瞬間があっただろう。一緒にハンバーガーを食べたことや、ラーメン屋に行ったこと、自転車での2人乗りも、全部全部、これから、忘れてしまう。私はその時、耐えられるのだろうか。忘れないで欲しい、どうか、どうか、「桃先輩」を、忘れないでくれ、越前リョーマ。

12代目のキャストが発表された時、リョーマと桃城が同い年かつ同じエビダンネクストであることに、私は打ち震えた。そして今日、雄大くんの挨拶を聞きながら涙ぐむあゆとを見ている時、私は10代目黄金ペアのことを思い出していた。江副田口の組み合わせもまた、同事務所かつ同グループであり、既に関係性が出来ている2人を敢えて黄金ペアに起用することで、同調から始まる黄金ペアのストーリーに対して必要不可欠となる、キャスト同士の強固な絆を、短時間で濃密なものにできるようにするためのキャスティングであった。

12代目におけるこの「ぞえつ方式」を今回の阿吽は、桃城と越前は取っているのだと、今日の挨拶を見ながらようやく気がついた。2人はダブルスを組まない。2人はパートナーではない。2人は、ふたりでひとつではない。だが、この2人の絆が、テニスの王子様の、つまり越前リョーマの物語の根幹を為すものなのだという強いキャスティングの意思を、私はこの文脈の付与から、どうしても期待してしまうのだ。それが例え偶然の産物だとしても。

私は、この2人を愛せたことが幸せでならない。

 

 

 

氷帝校歌、本当に歌詞がよくて何もかもかっこよかった!

氷帝ビショップの滝が頂点に歩を進める跡部の手を取って補助する構図は圧巻だ。ビショップは、常にキングの隣にある。

 

 

 

天国

D1は、お立ち台に選手が一人一人現れ、名前が映し出されるという超絶かっこいい演出で幕を開ける。黄金と白金はやはり、テニスの王子様において、その絆の強さで群を抜いている二組なのだと思う。この試合をつまらなく作ることは、どんな演出家にも到底不可能だ。

帽子すらどこかに飛んで行き、髪を振り乱しながらもがむしゃらに、勝って跡部に、あの時繋ぐことができなかった跡部に勝利を繋ごうとする宍戸の覚悟、そしてその覚悟を信じ、愛し、貫き通そうとする鳳。あえて私から一言だけ言うとすれば、黄金ペアの対戦相手になってくれて、ダブルスを組んでくれて、ありがとう。

 

「満足してたら俺たちは上には行けませんから」

を聴いたあとの鳳の、嬉しそうで、愛しそうで、幸せに満ち足りた顔が忘れられない。跡部は断髪後の宍戸に「テメーはもう終わってんだよ、ただダブルスでなら、テメーの努力報われるかもな。」と、シングルスからダブルスへの転向を示唆する(4thでは該当シーンは存在しないが)。努力は必ず報われる訳ではない。死ぬほど努力して努力して努力しても、全ての人間が結果を出せるわけではない。それが氷帝学園という超巨大組織であれば尚更だ。母数が大きくなればなるだけ、努力では到底太刀打ち出来ない領域がある。そんな中、他でもない跡部が宍戸という個人に対し、その努力を認め、その努力に結果を伴わせようとしたというのがまず、すごいと思う(ここに私が跡部宍戸の関係性厨をやる理由が詰まっている)。「敗者切り捨て」の掟を掲げる氷帝学園の部長と、そして監督が、ある種特別待遇をしたことによって、宍戸はシングルスプレイヤーではなくダブルスプレイヤーとしてレギュラーに返り咲くことができた。宍戸と鳳の関係性、特に宍戸から鳳に対しては、自分をサポートしてくれた良いパートナーであり、自分を強く慕ってくれている良い後輩として、強い信頼があることは言うまでもないが、ダブルスを組むにあたっては、若干ビジネスパートナー的というか、レギュラーに戻るために、そして氷帝のための勝利を掴み取るために選んだ選択だという前提が大きいのではないかと考える(検討外れな事を言っていたら指摘してもらいたい)。一方、鳳から宍戸に対しては、宍戸がレギュラーとしてテニスを出来るのなら、自分はレギュラーから外れても構わないと宣言するほどに宍戸に心酔しており、自分がテニスをしたいという気持ちと同じくらい、またはそれ以上に「宍戸と」テニスがしたい、宍戸の努力が報われて欲しいという強い想いを感じる。2人が互いを強く信頼していることは事実だが、この時点では2人のダブルスはあくまで宍戸の(=鳳の)=氷帝の勝利のためのダブルスであり、あくまで一夏のダブルスであるという認識だったのではないだろうか。だからこそ、試合後の宍戸が「俺たち」という言葉を用いて、2人で更なる高みを目指そうとしていることが鳳に共有されたあの瞬間、鳳はあのような、まるで同調中の黄金ペアのような、幸せで満ち足りた、嬉しくて仕方がないという表情を見せたのではないだろうか。そして同時に、宍戸と鳳が、本当に一対一の個人として向き合い始めるのは、この試合を経て、黄金ペアの「2人でテニスをすることの楽しさ」の極地、ダブルス的天衣無縫の極みである同調を目の当たりにしてからなのではないかと考える。

この試合が、青学黄金ペアの、無印におけるダブルスという形態の試合の臨界点なんだということを、私は今回のテニミュで初めて真に理解することができたように思う。許斐剛は、この時点(無印)でのダブルスの限界を、ダブルスで描けるものの全てを、ここで、この試合で、全国大会準々決勝のD1で描き切ったんだ。そしてテニミュは、ずっとそれを最大限表現しようとしてきたんだ。私は、この事実に、⭐︎10年前から既に明白だったこの事実に、4thの第一歩目から追いかけてきたことでようやく気がつくことができたのかもしれない。或いは、「誰にも見えない糸」が無くてもなお、この2組が唯一無二で、特別なダブルスであるということを、痛いほど思い知ったからこそ、気がつくことができたのだろうか。もはや黄金と白金について、この試合について語ろうと、言葉を並べ立てることすらも間違いなのかもしれない。そこで表現された試合が、その熱さが、パートナーへの信頼と愛が、2人が2人でやるテニスに懸ける情熱と想いが、その覚悟が、全てなのだ。それをただ受け取り、激しく心を揺さぶられる体験をした。それだけが全てだ。

人は、他者の青春を、他者の人生を消費し、それによって心が揺さぶられるエンターテイメントを愛してしまう愚かな生き物だ。だから甲子園には観客が殺到し、箱根駅伝は異常なまでの注目を集め、アイドルのサバイバル番組に熱狂し、24時間テレビを毎年観る。そして、どうしようもなくテニミュを愛してしまう。全国氷帝D1はまさに、4人のキャラクターの人生を消費しながら、その刹那の輝きが人の心を揺さぶる形のエンターテイメントなのだ。敢えて宣言する。だから私は、この試合を愛している。この試合をつまらなく作ることは、どんな演出家にも不可能だ。なぜなら、そこにはもうキャラクターやフィクションの枠すら超えて、「人生」そのものが存在しているからだ。

 

 

同調中、あんなに笑顔だったことは今までのテニミュではなかった(と思う)。同調とはそもそも無意識下で行われている現状であり、彼らの同調中の感情は、掛け声やアイコンタクトなども無いため、観戦している者(そして読者)には理解し難いものである。舞台上でも、同調中の彼らが無意識であることを表現するためなのか、同調中の黄金ペアはどこか機械的に動いているイメージがあった。そして、その光景に圧倒された周囲が「あれが同調」とその現象を生み出した黄金ペアを讃える、というのが今までの同調表現のセオリーであったといえるだろう。しかし、今回の同調では、本来なら大石と菊丸の間でしか共有されていない幸福な脳内イメージがそのまま2人の表情となって表出されており、圧倒的な多幸感がそのまま襲いかかってくるような演出が成されている。4thの同調では、3rdまで挿入されていた回想のコンテナシーンがなくなり、その部分のモノローグを、これから同調しようとする黄金ペア自身に歌わせている。同調に至るその瞬間を、黄金ペア自身が認識し、無意識の世界に入り込む。3rdまでが同調を「外から」観るものだったとすれば、4thは同調を「内から」観るようなイメージである。同調中の「天国みたいなところ、すっげー楽しくて」という感情がそのまま舞台上で表されるという、今までの同調とは全く逆の表出が為されているのが4thの同調だったといえる。

試合中の回想、過去試合曲のリプライズが多い4thだからこそ納得して受け入れることができた演出であり、それによって黄金厨である私は同調を擬似体験できたように感じた。あんな多幸感を味わえるとは思ってもみなかった。内面的な部分を表に出して表現する三浦テニミュの手法によって、今までの同調イメージとは全く異なる、新しい同調体験が生まれたのだと考える。

また、寺田の手塚国光が感情の振り幅が大きく、その内面を前面に押し出す芝居をするということを12代目が共通認識として持っているという点からも、4thでは、観客としての視点と同時にそのキャラクターの内面を視覚的にも観客に見せつけることが重要視されているのかもしれないと、今回の同調で感じた次第である。

 

 

桃城武のシングルス

私が彼をキャラクターとして完全に好きになったきっかけは、対山吹戦のS3の彼が、あまりにもかっこよかったからだ。右足を痙攣しながらも決して諦めないその我武者羅な姿勢、その事を悟られまいとする冷静で大人びた対応、どんな格上の相手であっても、全てを覆そうとするハングリー精神、その全てに魅了された。そして、直後のテニミュで観た寶珠山駿の演じる桃城武の熱さ、全身びしょ濡れで、顔や足には血管が浮き出、このままでは本当に死んでしまうのではないかという程の、狂気すら感じる懸命さ、がなりすぎて枯れ果てた声、その全てに心を奪われ、夢中になった。彼は、青春学園で最も熱く懸命で、等身大で、まさしく「青春」そのもののようなキャラクターだ。何かに死ぬ気で打ち込んだ、決して天才ではない誰もが体験したあの「青春」が、桃城武というキャラクターそのものなのだと思う。

全氷のS3は、桃城くんにとっても久しぶりのシングルスであり、全国大会における初戦。彼自身が言っているように「嬉しくって武者震い」するほどに待ち侘びた試合である。相手は因縁の相手である忍足侑士、今後U17日本代表に補欠として選抜されているという実績からみても、桃城くんにとっては格上の相手である。桃城くんのシングルス戦は、常に格上の相手とどう戦っていくか?をしつこいまでに繰り返している。桃城武という存在は、青学というテニスの名門、エリート校のレギュラーキャラクターでありながら、常に「挑戦者」の役割を与えられているのだ。

原作において、桃城の公式戦のシングルスは2試合しかない。2人の桃城武は、それぞれ、一度しかシングルスを演じられない。過去の桃城武には、シングルスプレイヤーでありながら、シングルスの試合をできなかったキャストもいる。私は、4thシーズンにおける2人の桃城武のシングルスを見届けることが出来た。それだけでもう十分だ。桃城くん、本当はあなたとお付き合いがしたい。もっと本当のことを言うと、越前リョーマくんとお付き合いしていて欲しい。でも、そのどちらもが叶わなくていい。思い出だけ、くれたらいいんだ。ありがとう、こんな思い出をくれて。ありがとう。

 

青春学園というチーム

(何書きたかったんだ?)

 

氷帝学園というチーム

(何書きたかったんだ?)

 

 

四天の長文を書くべく、まずはこれをインターネットの海に放流する。

2025/12/1 死体が就寝

落ち込んだ時、もうどうしようもなくなった時、どうしたらいいか、どうしたら戻れるのかが、よくわからなくなってしまった。

今週はなんだか、様々な事柄が重なってしまい、仮に私が元気に労働に勤しめるだけの健康状態であったとしても、受け止めて回復するにはそれなりの時間を要するであろうダメージが精神に蓄積されてしまったような気がする。今、3日間程、ただひたすら横になり続けている。

3週間に一度、薬を貰うために病院へ行き、権威の爺さんと会話をする。今はとにかくコツコツと、頑張ってでも体力をつける事、それを継続させることが大切だと言われて、味のないラムネをもらっておしまい。その通りに動いてきたはずなのに、この現状はなんなんだろう。「動けない」「話したくない」「1人だけでいたい」とここまで強く感じたのは久しぶりなような気がする。数ヶ月前までは、1秒先の未来のことすら考えたくないのが当たり前だったはずなのに、随分回復したものだ。今は、1秒先の未来のことすら考えたくもないけれど。

死ぬ才能がないのは分かりきっているのに、死にたくて死にたくて仕方がない。また来たか、と思えればいいのに、そういうわけにもいかない。私はどうやって、亀のような歩みではあるけれど、回復していったのだろう。それが思い出せなくて、それを思い出そうとすると、全部を破り捨てたくなる衝動に襲われる。呑まれたくないから、眠る。

横になり、抜け落ちた自分の髪の毛を見つける。抜け落ちた自分の髪の毛が、本当に気持ち悪い。自分の残骸が気持ち悪くて、神経質に、一本一本ゴミ箱に捨てている。静電気がひどくて、捨てられない。この瞬間、無性に苦しくなる。

ひたすら、天井と携帯と、枕元に置いてある人形の尻を見ている。今日もまた薬を飲んで死体が就寝、そして明日の朝になれば、薬が切れた死体が起床する。

2025/11/18 ひゃくえむ。を観たりした

しばらくはてブロを更新もせず、カイジを観たりモリミュを観返したり、トリコを観たり(全部めちゃくちゃ面白い)ひたすら散歩をしたり、退職後のことをぼんやり考えながら過ごしていた。文字にして吐き出さなくとも、自分を保てているということは、精神がかなり安定している証拠なのだろうか、と考える。

(追記:12/1 この冒頭を書き始めた2週間後が今なのだが、一気に落ちている。振り出しに戻ってしまった気分だ。)

北海道に戻ってきてから、高校の陸上部時代の友人と、割と頻繁に会っている。彼女がわたしのはてブロを結構読んでいることが判明したので、改めてひゃくえむの感想を文字起こししていきたいと思い、帰りの電車内でこの文章を書き始めた。

今日は親知らずの抜歯をした。3ヶ月ほど前、精神がひどく落ち込んでいるにも関わらず異常に歯が痛く、泣く泣く歯医者へ行くと、CTを撮られ、歯石をただ除去された。痛かった。親知らずと神経が被っているのでここでは抜けない。大きい病院へ行けと言われて行った大きい病院では、3時間待たされた上で、3ヶ月後の予約を取られた。3ヶ月後の本日、親知らずを抜いてきた。

抜歯を担当してくれたおじいさんの歯科医は「骨を削ったのでかなり痛くなる」と言っていた。私は返事をした後麻酔でうまく動かない口で「抜いた歯ってもらえますか?」と聞いた。おじいさん歯科医は私に、肉片が付いたままの血まみれの歯をジップロックに入れて手渡してくれた。乳歯を抜いたときはかわいい歯の形のケースで貰えたのに、大人はジップロックでしか歯を貰えないようだ。

 

映画を観た後、どうしても言葉にしたい時、そしてその気持ちを言葉にしようがない時、やはりTwitterは便利だなと思う。Twitterは感情の言語化ツールでありながら、そうではないからだ。

映画を観てからしばらく経った上で2度目の視聴をした今の感情の熱量と、初見の熱量には圧倒的な差がある。あの熱を込めた文は、『ひゃくえむ。』2周目今の私には到底書けない。

私の『ひゃくえむ。』の感想は、1回目の、あのトラックで感じた湧き上がるドーパミンや、それに対する懐かしさ、人生を賭けた経験への郷愁に似た感情からしか出力できないだろう。Twitterでは埋もれてしまうかもしれないので(自分の初見の熱量を愛おしむ趣味があるため、エゴサできる様に「わたしと〇〇」という文面を必ず入れているのでそんなことはないのだが)まずはその時書き上げた感想を抜粋、一部添削して以下に載せようと思う。そしてその後、2度目の『ひゃくえむ。』視聴で見つけた新たな発見や自分の思考を述べていくことにする。

 

わたしとひゃくえむ から抜粋及び添削

 

・100mをやったことがある人間なら分かると思うんだけど、公式サイトにある「才能型」と「努力型」なんてそもそも嘘なんだよ、100mっていうのはとにかくそもそもある程度脚が速いやつ、そして脚が速くなる可能性を秘めている圧倒的な「才能」があるやつがいて初めてモノを言える競技なんだよ。

 

・気持ちとか根性とかそんなのでなんとかできる領域じゃない、けどその領域を一度超えて、そこに集うすべての人間たちが才能を持ちその上で努力を怠らずに相対することになった時、もう一度その「気持ち」でモノを言わせることができる領域がやってくる。

でもそこを一周した時、もう一回回った時世界がまた開けるんだよ。今ずっと海棠最高ラストレースの小宮とトガシ(特にトガシ)最高の話をしている。

 

・てかなんなら100なんて力んでガチガチになって普段のパフォーマンスが出せなかったらそこから挽回の余地がほとんどないみたいな競技なの なのになんなんですか幼少期及び高一小宮。

 

・勝つのって楽しいんだよ、走って勝つのってマジで楽しいの、だからわざわざ走る、走るだけのことをわざわざ極めようとする。だって走るだけで勝った時ってマジで気持ちがいいから。幼稚園のかけっこだって、小学校でリレーの選手に選ばれた時だって、中高の大会だって、勝てば楽しいし気持ちいい、負けたら悔しいし苦しいし楽しくない。でも、勝った時の気持ちよさがあるからこの競技って人を惹きつけるんだよなと思う。圧倒的に自分の力で、自分のやってきたこと、才能、生きてく中で培った全部がその、走ってる間は全部出てるんだよ。気持ちいいんだよな、懐かしい気分になった、異常なまでに。

 

・財津の言ってることにすべて同意する。全力で走って、全力で人と競うっていうっていうのは生きるってことなんだ。生きることに似てるとかじゃなくて人生そのものなんだ、イコールなの だから私はもう出涸らしなんです。出涸らしの人生。アレを体験してしまうと、そうとしか思えない。

でも、死ぬわけじゃないんだよな 今こうやって生きているわけだし。わたしはこの出涸らしの残りの人生を、自分なりにどうこうしてハチャメチャにしていかないと……じゃないと、生きながら死んでるようなもんだ。死にながら生きたい。毎日毎日毎日毎日破滅して、死にながら生きたいよ。

 

・陸上部っていうのは常に野球部、サッカー部、あるいはソフト部に虐げられ(学校にもよるだろ)練習場所を奪われ、「走ってるだけだろ」「何が楽しいんだよ」と嘲笑され(人によるだろ)それでも走ることに居場所、苦しみ、絶望、希望、全てを超越する快楽を見出した人間の復讐劇なんだよ。

 

・ごめんなさい全然自分の青春に想いを馳せたり陸上競技ってやっぱり面白い、やっぱり走るのって気持ちいいんだ、最高なんだ…ていう限界感情に囚われすぎていてボーイズラブの話をしている余裕がないんですけど、普通に考えてカバトガくらいしか恋愛させようがない(追記:今は宮トガもわかる)

 

以上がひゃくえむ。初回視聴後の私のツイートを一部抜粋したものである。

 

今読み返しても、その通りだな、としか思えない。私は人生に対して、破滅寸前のヒリついた空気感を求めている。それは昔も、そして今も変わらないのだと思う。そのヒリつきを求め、「ガチ」の瞬間を求め続ける人生は苦しい。自分が、自分の体一つで「ガチ」になれる瞬間なんていうのは、レールの上をなんとなく歩こうとする人生を送る上で、本来殆ど存在し得ないものなのだから、それを追い求め続けるのが苦しいのは当然だ。でも、一度その快感を知ってしまったら、またその快感を味わいたくなってしまう。私は諦めが悪いので。

私は負けず嫌いであること、そして諦めが悪いことが自分の唯一の取り柄だと思っていた。だから、何に対しても全力で向き合えると、立ち向かえると、この取り柄があればやれると思っていた。でも、そうじゃなかった。自分が「やりたい」と強く思って、自分の意思で選んだ道に対してしか、その取り柄は発揮されないんだなとやっと気がつくことができた。

気がついてから、この映画に出会えたことは幸福だったと思う。もう戻れなくなってから、陸上競技から離れてから、この映画に出会えてよかったと思う。

 

 

作中に出てくる人物はほとんど皆、圧倒的な「才能」を秘めている。そうでないのは鰯弍の女子部員、浅倉と椎名くらいだろう。

そんな浅倉が陸上を「いいよね」と言う。どちらかと言えば浅倉側に属する私もまた、「いいよね」と思う。10年後、浅倉には子供ができており、テレビの前で共に100mの決勝を見届けている。本来、競技スポーツとはそういうものなのだろうと思う。人生の中で、ほんの一時「ガチ」のヒリつきを味わえるもの。その中で特別な者だけが、ずっとそのヒリついた空気の中に生命を捧げられるもの。その快楽に一生を投じる者もいれば、別の形で競技に触れ続ける者もいれば、傍観者として距離を置く者もいる。私は結果的に距離を置いた人間だが、それでもあの感覚への恋しさは、今も身の奥にヒリヒリしたまま残っている。

陸上競技は、自分と圧倒的な才能が同じトラックの上で交差しえる場所だと思う。辞めたことを後悔している訳でも、今も続けていればよかったとも思わないが、あの交差した瞬間の事を覚えていられる自分で、思い出せる人生でよかったのかもしれない、なんて事を思う。

 

映画を観たあと、中学時代の顧問の言葉を思い出した。顧問は私が中2から中3になる時に移動になったのだが、その時に部員全員にオリジナルの下敷きを作って渡してくれた。そこには「走ることは生きることとよく似ている」というメッセージが大きく書かれていて、その下に少し小さな文字でメッセージが添えられていた。その内容は詳しく覚えていないのに、走ることと生きることを繋ぎ合わせた短文だけは、今も妙に頭に残っている。彼を一言で表すとすれば、快活な爺さんだった。私達の大会がある日が自分の出る札幌マラソンと被って、札幌マラソンを優先したり、自分のマラソンの練習を兼ねて部員全員を10kmランに連れて行ったり、練習するための競技場にハーレーで来たり、競技場練習のための移動の際に乗るところがないからと言って私を荷物起きに乗せて移動するような生物教師の爺さんは、吉田鋼太郎に少し顔が似ている人だった。『ひゃくえむ。』面白かったよ、観ましたか?死んでませんか?

 

 

2025/09/09 自死について考えた事柄

わたしは、自殺を諦めた。

人は必ずいつか死ぬ。そのタイミングを自分で決められる人と、決められない人がいるというだけで。大半の人は、自分の死のタイミングを決められないのだが、自分の死のタイミングを決められる人間に対して、そのような人間がいる、ということに対して羨望の眼差しを、自分もそうなりたい、なれるはずだという自己投影を向けてしまう人がいる(以前の私のように)。

そういう人間が放つ「死にたい」は、嘘でもなんでもない。全部本当なんだけど、この本当がなかなか伝わらない。全部本当なんだ、苦しいんだ、それを言い表す言葉で一番ちょうど良かったのが「死にたい」なんだ。もう苦しいのは嫌だから、そこから解き放たれたいだけなんだ。

けど、もう伝わらないならそれでいいやと思えるようになった。だって、多分私は現状、自分の命の終わりを自分で決められる人間ではないから。自殺できる人が偉いとか、死にたい死にたいって言って結局死なない人間が偉くないとか、その逆だとかではなくて、ただ事実として、わたしは自分の人生を終わらせるタイミングを、自分では決められないんだなと諦めがついた。

私は、死のタイミングを自己決定することへの執着を手放すことにして、実際に今、手放している最中だ。今は、自分が死ぬ瞬間を決められないなら、なる早で死ねたら嬉しいと思っている。そして、自分が死ぬ瞬間を決められないなら、他者の存在を脅かしたり蔑ろにしたり、踏みつけにしない限りは、好きなように生きた方が得なのではないかと思うようになってきている。

どうせ、人はそのうち死ぬ。毎日少しずつ死んでいる。人生は削りカスを生成する日々の繰り返しだ。じゃあ、わたしはその削りカスに火をつけて、爆発させながら生きていたい。弾けるみたいに、毎日死んでいたい。

あと弾けてたかどうかも、私が勝手に決めるから、ほっといてほしい!