PUFFYになりたい

うつ病VS孤高 いつか、蟹を食べる

2025/12/1 死体が就寝

落ち込んだ時、もうどうしようもなくなった時、どうしたらいいか、どうしたら戻れるのかが、よくわからなくなってしまった。

今週はなんだか、様々な事柄が重なってしまい、仮に私が元気に労働に勤しめるだけの健康状態であったとしても、受け止めて回復するにはそれなりの時間を要するであろうダメージが精神に蓄積されてしまったような気がする。今、3日間程、ただひたすら横になり続けている。

3週間に一度、薬を貰うために病院へ行き、権威の爺さんと会話をする。今はとにかくコツコツと、頑張ってでも体力をつける事、それを継続させることが大切だと言われて、味のないラムネをもらっておしまい。その通りに動いてきたはずなのに、この現状はなんなんだろう。「動けない」「話したくない」「1人だけでいたい」とここまで強く感じたのは久しぶりなような気がする。数ヶ月前までは、1秒先の未来のことすら考えたくないのが当たり前だったはずなのに、随分回復したものだ。今は、1秒先の未来のことすら考えたくもないけれど。

死ぬ才能がないのは分かりきっているのに、死にたくて死にたくて仕方がない。また来たか、と思えればいいのに、そういうわけにもいかない。私はどうやって、亀のような歩みではあるけれど、回復していったのだろう。それが思い出せなくて、それを思い出そうとすると、全部を破り捨てたくなる衝動に襲われる。呑まれたくないから、眠る。

横になり、抜け落ちた自分の髪の毛を見つける。抜け落ちた自分の髪の毛が、本当に気持ち悪い。自分の残骸が気持ち悪くて、神経質に、一本一本ゴミ箱に捨てている。静電気がひどくて、捨てられない。この瞬間、無性に苦しくなる。

ひたすら、天井と携帯と、枕元に置いてある人形の尻を見ている。今日もまた薬を飲んで死体が就寝、そして明日の朝になれば、薬が切れた死体が起床する。

2025/11/18 ひゃくえむ。を観たりした

しばらくはてブロを更新もせず、カイジを観たりモリミュを観返したり、トリコを観たり(全部めちゃくちゃ面白い)ひたすら散歩をしたり、退職後のことをぼんやり考えながら過ごしていた。文字にして吐き出さなくとも、自分を保てているということは、精神がかなり安定している証拠なのだろうか、と考える。

(追記:12/1 この冒頭を書き始めた2週間後が今なのだが、一気に落ちている。振り出しに戻ってしまった気分だ。)

北海道に戻ってきてから、高校の陸上部時代の友人と、割と頻繁に会っている。彼女がわたしのはてブロを結構読んでいることが判明したので、改めてひゃくえむの感想を文字起こししていきたいと思い、帰りの電車内でこの文章を書き始めた。

今日は親知らずの抜歯をした。3ヶ月ほど前、精神がひどく落ち込んでいるにも関わらず異常に歯が痛く、泣く泣く歯医者へ行くと、CTを撮られ、歯石をただ除去された。痛かった。親知らずと神経が被っているのでここでは抜けない。大きい病院へ行けと言われて行った大きい病院では、3時間待たされた上で、3ヶ月後の予約を取られた。3ヶ月後の本日、親知らずを抜いてきた。

抜歯を担当してくれたおじいさんの歯科医は「骨を削ったのでかなり痛くなる」と言っていた。私は返事をした後麻酔でうまく動かない口で「抜いた歯ってもらえますか?」と聞いた。おじいさん歯科医は私に、肉片が付いたままの血まみれの歯をジップロックに入れて手渡してくれた。乳歯を抜いたときはかわいい歯の形のケースで貰えたのに、大人はジップロックでしか歯を貰えないようだ。

 

映画を観た後、どうしても言葉にしたい時、そしてその気持ちを言葉にしようがない時、やはりTwitterは便利だなと思う。Twitterは感情の言語化ツールでありながら、そうではないからだ。

映画を観てからしばらく経った上で2度目の視聴をした今の感情の熱量と、初見の熱量には圧倒的な差がある。あの熱を込めた文は、『ひゃくえむ。』2周目今の私には到底書けない。

私の『ひゃくえむ。』の感想は、1回目の、あのトラックで感じた湧き上がるドーパミンや、それに対する懐かしさ、人生を賭けた経験への郷愁に似た感情からしか出力できないだろう。Twitterでは埋もれてしまうかもしれないので(自分の初見の熱量を愛おしむ趣味があるため、エゴサできる様に「わたしと〇〇」という文面を必ず入れているのでそんなことはないのだが)まずはその時書き上げた感想を抜粋、一部添削して以下に載せようと思う。そしてその後、2度目の『ひゃくえむ。』視聴で見つけた新たな発見や自分の思考を述べていくことにする。

 

わたしとひゃくえむ から抜粋及び添削

 

・100mをやったことがある人間なら分かると思うんだけど、公式サイトにある「才能型」と「努力型」なんてそもそも嘘なんだよ、100mっていうのはとにかくそもそもある程度脚が速いやつ、そして脚が速くなる可能性を秘めている圧倒的な「才能」があるやつがいて初めてモノを言える競技なんだよ。

 

・気持ちとか根性とかそんなのでなんとかできる領域じゃない、けどその領域を一度超えて、そこに集うすべての人間たちが才能を持ちその上で努力を怠らずに相対することになった時、もう一度その「気持ち」でモノを言わせることができる領域がやってくる。

でもそこを一周した時、もう一回回った時世界がまた開けるんだよ。今ずっと海棠最高ラストレースの小宮とトガシ(特にトガシ)最高の話をしている。

 

・てかなんなら100なんて力んでガチガチになって普段のパフォーマンスが出せなかったらそこから挽回の余地がほとんどないみたいな競技なの なのになんなんですか幼少期及び高一小宮。

 

・勝つのって楽しいんだよ、走って勝つのってマジで楽しいの、だからわざわざ走る、走るだけのことをわざわざ極めようとする。だって走るだけで勝った時ってマジで気持ちがいいから。幼稚園のかけっこだって、小学校でリレーの選手に選ばれた時だって、中高の大会だって、勝てば楽しいし気持ちいい、負けたら悔しいし苦しいし楽しくない。でも、勝った時の気持ちよさがあるからこの競技って人を惹きつけるんだよなと思う。圧倒的に自分の力で、自分のやってきたこと、才能、生きてく中で培った全部がその、走ってる間は全部出てるんだよ。気持ちいいんだよな、懐かしい気分になった、異常なまでに。

 

・財津の言ってることにすべて同意する。全力で走って、全力で人と競うっていうっていうのは生きるってことなんだ。生きることに似てるとかじゃなくて人生そのものなんだ、イコールなの だから私はもう出涸らしなんです。出涸らしの人生。アレを体験してしまうと、そうとしか思えない。

でも、死ぬわけじゃないんだよな 今こうやって生きているわけだし。わたしはこの出涸らしの残りの人生を、自分なりにどうこうしてハチャメチャにしていかないと……じゃないと、生きながら死んでるようなもんだ。死にながら生きたい。毎日毎日毎日毎日破滅して、死にながら生きたいよ。

 

・陸上部っていうのは常に野球部、サッカー部、あるいはソフト部に虐げられ(学校にもよるだろ)練習場所を奪われ、「走ってるだけだろ」「何が楽しいんだよ」と嘲笑され(人によるだろ)それでも走ることに居場所、苦しみ、絶望、希望、全てを超越する快楽を見出した人間の復讐劇なんだよ。

 

・ごめんなさい全然自分の青春に想いを馳せたり陸上競技ってやっぱり面白い、やっぱり走るのって気持ちいいんだ、最高なんだ…ていう限界感情に囚われすぎていてボーイズラブの話をしている余裕がないんですけど、普通に考えてカバトガくらいしか恋愛させようがない(追記:今は宮トガもわかる)

 

以上がひゃくえむ。初回視聴後の私のツイートを一部抜粋したものである。

 

今読み返しても、その通りだな、としか思えない。私は人生に対して、破滅寸前のヒリついた空気感を求めている。それは昔も、そして今も変わらないのだと思う。そのヒリつきを求め、「ガチ」の瞬間を求め続ける人生は苦しい。自分が、自分の体一つで「ガチ」になれる瞬間なんていうのは、レールの上をなんとなく歩こうとする人生を送る上で、本来殆ど存在し得ないものなのだから、それを追い求め続けるのが苦しいのは当然だ。でも、一度その快感を知ってしまったら、またその快感を味わいたくなってしまう。私は諦めが悪いので。

私は負けず嫌いであること、そして諦めが悪いことが自分の唯一の取り柄だと思っていた。だから、何に対しても全力で向き合えると、立ち向かえると、この取り柄があればやれると思っていた。でも、そうじゃなかった。自分が「やりたい」と強く思って、自分の意思で選んだ道に対してしか、その取り柄は発揮されないんだなとやっと気がつくことができた。

気がついてから、この映画に出会えたことは幸福だったと思う。もう戻れなくなってから、陸上競技から離れてから、この映画に出会えてよかったと思う。

 

 

作中に出てくる人物はほとんど皆、圧倒的な「才能」を秘めている。そうでないのは鰯弍の女子部員、浅倉と椎名くらいだろう。

そんな浅倉が陸上を「いいよね」と言う。どちらかと言えば浅倉側に属する私もまた、「いいよね」と思う。10年後、浅倉には子供ができており、テレビの前で共に100mの決勝を見届けている。本来、競技スポーツとはそういうものなのだろうと思う。人生の中で、ほんの一時「ガチ」のヒリつきを味わえるもの。その中で特別な者だけが、ずっとそのヒリついた空気の中に生命を捧げられるもの。その快楽に一生を投じる者もいれば、別の形で競技に触れ続ける者もいれば、傍観者として距離を置く者もいる。私は結果的に距離を置いた人間だが、それでもあの感覚への恋しさは、今も身の奥にヒリヒリしたまま残っている。

陸上競技は、自分と圧倒的な才能が同じトラックの上で交差しえる場所だと思う。辞めたことを後悔している訳でも、今も続けていればよかったとも思わないが、あの交差した瞬間の事を覚えていられる自分で、思い出せる人生でよかったのかもしれない、なんて事を思う。

 

映画を観たあと、中学時代の顧問の言葉を思い出した。顧問は私が中2から中3になる時に移動になったのだが、その時に部員全員にオリジナルの下敷きを作って渡してくれた。そこには「走ることは生きることとよく似ている」というメッセージが大きく書かれていて、その下に少し小さな文字でメッセージが添えられていた。その内容は詳しく覚えていないのに、走ることと生きることを繋ぎ合わせた短文だけは、今も妙に頭に残っている。彼を一言で表すとすれば、快活な爺さんだった。私達の大会がある日が自分の出る札幌マラソンと被って、札幌マラソンを優先したり、自分のマラソンの練習を兼ねて部員全員を10kmランに連れて行ったり、練習するための競技場にハーレーで来たり、競技場練習のための移動の際に乗るところがないからと言って私を荷物起きに乗せて移動するような生物教師の爺さんは、吉田鋼太郎に少し顔が似ている人だった。『ひゃくえむ。』面白かったよ、観ましたか?死んでませんか?

 

 

2025/09/09 自死について考えた事柄

わたしは、自殺を諦めた。

人は必ずいつか死ぬ。そのタイミングを自分で決められる人と、決められない人がいるというだけで。大半の人は、自分の死のタイミングを決められないのだが、自分の死のタイミングを決められる人間に対して、そのような人間がいる、ということに対して羨望の眼差しを、自分もそうなりたい、なれるはずだという自己投影を向けてしまう人がいる(以前の私のように)。

そういう人間が放つ「死にたい」は、嘘でもなんでもない。全部本当なんだけど、この本当がなかなか伝わらない。全部本当なんだ、苦しいんだ、それを言い表す言葉で一番ちょうど良かったのが「死にたい」なんだ。もう苦しいのは嫌だから、そこから解き放たれたいだけなんだ。

けど、もう伝わらないならそれでいいやと思えるようになった。だって、多分私は現状、自分の命の終わりを自分で決められる人間ではないから。自殺できる人が偉いとか、死にたい死にたいって言って結局死なない人間が偉くないとか、その逆だとかではなくて、ただ事実として、わたしは自分の人生を終わらせるタイミングを、自分では決められないんだなと諦めがついた。

私は、死のタイミングを自己決定することへの執着を手放すことにして、実際に今、手放している最中だ。今は、自分が死ぬ瞬間を決められないなら、なる早で死ねたら嬉しいと思っている。そして、自分が死ぬ瞬間を決められないなら、他者の存在を脅かしたり蔑ろにしたり、踏みつけにしない限りは、好きなように生きた方が得なのではないかと思うようになってきている。

どうせ、人はそのうち死ぬ。毎日少しずつ死んでいる。人生は削りカスを生成する日々の繰り返しだ。じゃあ、わたしはその削りカスに火をつけて、爆発させながら生きていたい。弾けるみたいに、毎日死んでいたい。

あと弾けてたかどうかも、私が勝手に決めるから、ほっといてほしい!

2025/08/xx 盆DISCO

8月に日記を書いていなかった。正確には、人に見せるための日記を書いていなかった。8月は、映画を観たり、なんとかテニミュを観にいけたり、こっちに戻ってきてから初めて友人と会ったり、祖父母に顔を見せに行くことができたりして、自分が回復期にあることを実感し、同時に、自分の体力の無さに打ちひしがれる月だった。

 

昨年の親戚集合時に、大叔母家族がデカめの家族喧嘩をしたせいで、我が家は今年の親戚集合をドタキャンしている。そのため、BBQや海や花火といった夏らしいことは特に何もしていない。なので、もし人から、今年夏らしいこと、何かした?と聞かれたら「盆DISCOに参加した」と答えるしかない。

盆DISCOとは、地域の祭りの催しの一環で、盆踊りの太鼓の代わりに櫓の上にDJが立ってDISCOミュージックを流し、その櫓の周りで酔っ払い達が踊り狂うというものである。参加者は少人数ながら、良い盛り上がりを見せており、しゃんこしゃんこと盆踊りを踊るよりも余程死人が蘇りそうだと思った。盆DISCOの櫓の下に、死ぬほどダンスがうまいアロハシャツのおっさんがいた。そのおっさんは、仄暗い盆DISCOの中で一際輝きを放っていた。軽快なステップとキレのあるターン、そして振付の瞬発力と多様さに目を奪われた。私が今年の夏観たステージは、このおっさんの華麗なるダンスとミュージカルテニスの王子様全国氷帝公演の2つだ。おっさんには誇らしく思ってもらいたい。光る棒が500円で売っていた。隣に座っているおっさんがくれたので、振り回して楽しんだが、持ち帰ってきていないところを見るにどうやらどこかに無くしたらしい。また、ジュリアナ扇子を振り乱して楽しそうに踊っている母と同い年くらいの女性も見かけた。完璧な空間だった。

 

盆DISCOで散々踊り狂ったせいで、翌日と翌々日、丸2日寝込んだ。

2025/07/12 うつ病のユーモア(9/9追記)

Twitterには、うつ病のユーモアが溢れている。不健康うつ病ユーモアツイートをする人間が本当にうつ病なのか、うつ病をネタにしているだけなのかは分からないし、辛さは比較するためのツールではないからそこは無視するけど、とにかく、Twitterのユーモアはの大半はうつ病ユーモアでできているのではないかとすら思う。

最近の感覚として、わたしは既にうつ病の急性期を抜け、回復期に入ったと思われる。とはいえ、まだまだ4分の1日程度の健康状態しか保てないし、寝たきりで過ごす日もある。回復期はこのように、体調の波を繰り返して徐々に回復していく時期とされているので、今のわたしの状態はまさに回復期といえる(はず!)

わたしは、回復期こそが、うつ病ユーモアの全盛期なのではないかと思っている。

急性期のわたしは、うつ病ユーモアを見る余裕も読める気力も、それがユーモアであると思える脳もなかったし、うつ病ユーモアをツイートしている人の他のツイートを読んで、「なんだよこいつ、働けてんじゃねーか」「学校いけてんだ、まともじゃん、なにこいつ」と思って、無意味に不幸比べをして、ネタとして消費される辛さを恨んでいた。または、読んで字の如く受け取ってそのまま落ち込んで希死念慮を強めたりしていた。Twitterの不健康うつ病ユーモアは、何ひとつ面白くなかった。そもそも鬱の症状を調べたり、ソリティアをしたり、吐いたり、泣き叫んだりして忙しかったので、TLを見ていなかったというのが正しいかもしれない。

回復期に入るということは、自分がうつ病であるということを受け入れ、ある程度開き直る事ができた、ということとイコールなのではないかと思う。開き直るからこそ、自虐ができる。うつ病であることを受け入れたからこそ、ユーモアとして昇華することで現実から目を逸らせる。うつ病ユーモアは、回復期における開き直りと密接に結びついており、この開き直りをさらに乗り越え、うつ病ユーモアによる傷の舐め合いコミュニティを脱する、つまりは第2の開き直りを経る事で、うつ病を経験した人間のメンタルは新たに生まれ変わるのではないだろうか。そして、生まれ変わりという開き直りができた人間が、うつ病から寛解していくのではないだろうか。(そして生まれ変わりたくない気持ちもまた、同時に存在しており、今はそのジレンマの中にある/9/9現在•追記)

YouTubeには、うつ病患者の1日vlogなんかを上げてくれている人がいる。そこのコメント欄には「でも動画は撮れるんですね」「本当に鬱なら動画を撮れるわけがない。私は鬱の時寝ることしかできなかった。」という、嘘鬱松警察がかなり出動している。うつ病患者の1日vlogを見る事ができるようになったのも、一番酷い時期を少し抜けかけている時期だった。嘘鬱松警察達はわたしに「鬱症状の重さとそれに伴う不幸で優越性を保とうとすることは、自らの精神にも他者に対する態度としても不健康だ」という気付きを与えた。

(以下9/9•追記)うつ病は苦しい。藁にもすがる思いで症状を検索し、自分と同じ人を探したかったり、自分より楽そうな人に毒付きたくなる気持ちもわかる。だけど、苦しさ、辛さは相対的に評価されるものでも、するものでもないし、それは同時に「かわいさ」や「人生」が、相対的に評価される/するべきものではないということと、大雑把に括ればイコールなのではないかと思う。

わたしは、相対評価に支配されながら生きてきた。相対評価に支配されているのにも関わらず、自分で決めた絶対的な判断軸に基づいてあらゆる事を選択してきたという自負がある。こんなチグハグな精神状態で、まともに立ち続けるのは苦しかった(だろう)。このねじれを、一つ一つ解き、またねじれた時に、解き方を理解しているから大丈夫だと思えるようになるにはどうしたらいいのか。また、このねじれを抱えたまま立ち続けるには、どうしたらいいのか。抽象的だが、今はこんな事柄についてちまちまと本を読んだり、未来の選択肢について少しずつ考えたりしている。

 

しかし、悲しいかな体力は、なかなか戻らない。

2025/07/29 ゆっきゅんのユリイカを読んでる

自分の誕生日に買ったゆっきゅんのユリイカを、やっと読み始めた。面白い文章がたくさん載っているな、文書が、面白いな、と思えて嬉しい。学園都市線なんて北海道医療大学に通う未来ある若者か、競馬が大好きな未来ある中年しか乗らないから、未来ある休職中のわたしは、学園都市線を利用したことがなかった。初めて乗ったその沿線には、生き残った平成の百均と競馬場とチョコレートと、当別当別しい景色が溢れていた。電車の中でゆっきゅんのユリイカを読んだ。(まだ読み終わってない)大森靖子との対談がめっちゃ良くて、駅で降りて歩いている時はずっと大森靖子を聴いていた。頭の中はずっと、早く自分で家賃を払っている家の天井を見たがっていた。家族も実家も好きだけど、わたしはわたしが作り出した、わたしの家と、その天井が好きなんだと思った。電車内に、席の前後もひっくり返さないで麒麟の淡麗を飲んでるおじさんがいた。おじさんはわたしと背中合わせになりながら、ビールを飲む。わたしとおじさんで、この空間をのどごしが似合う無職のグリーン車にしてしまった。嬉しい、

2025/07/19 元気な死にたがり

毎日毎日、元気になってきていると思う。同時に、元気な自分って、今この瞬間にしか存在し得なくて、今わたしが元気なのは労働環境という場から離れて、逃げて、向き合わなくてはいけない現実から目を逸らし続けているからなんだろうなとも思う。わたしも、普通の大人をちゃんとやってみたかった。

一丁前に自分を客観視できていると思い込んでいる。一丁前に、できない自分を、今後同じように、同じことで苦しむであろう自分を勝手に予想しては、じゃあどうしたら、苦しまずに生きていけるのか。苦しんだとしても、自分が耐えられる苦しさの中で、死ぬ瞬間までやれるのかを考える。考えるけど、具体策は全く思いつかない。ただ漠然と、わたしはごくごく一般的な、この国のホワイトカラーの社会人として働く事を諦めなくてはいけないんじゃないかという、悲観的ではなく、冷静で現実的な未来予測だけが頭に浮かぶ。冷静で現実的な「では、どう死のうか」「さて、いつ死のうか」という死にたがりのわたしは、ずっと消えずに居続ける。別にいたところで、実行できる程の強さや覚悟もないというのに、い続ける。わたしは、彼女と和解しなくては。死にたがる彼女を、よりよい方向に向かって、諦めさせなければいけない。死にたがるのは構わない。苦しいのは、死にたいのに死ねないという、覚悟のない自分に対する自己嫌悪だ。死にたがるのは構わない。死への執着を手放して、生について、わたしと彼女は向き合わなくてはいけない。死にたがるのは別に、いいんだ。